2024年 03月 17日
万葉集その九百九十一(霞 かすみ)
万葉集その九百九十一(霞)
万葉集で詠われた霞は79首(うち春霞18首)。
炭火や薪などで暖を取り、衣類を何重にも着込んで厳しい寒さを
耐え忍んでいた人々は如何に春到来を待ち望んでいたことか。
まだ寒さが残る早朝、山々に紫色の霞が棚引いているのを見て、
思わず「おぁ!春だ、春が来た」と歓声をあげたことでしょう。
「 うち靡く 春を近みか ぬばたまの
今夜(こよひ)の月夜(つくよ)霞みたるらむ)」
巻20-4489 伊香 真人(いかごの まひと)
( 暦の上の春も ま近にきているのでしょうか。
今宵の月夜はこんなにもうすぼんやりと
霞んでおります)
757年 大監物三形王(天武系の皇子)の邸宅で
宴を催された時の1首。
大監物とは、官庁の出納の鍵を監察する役所の長官です。
朧月夜を眺めながら、賑やかに杯を交わしている。
気象学上では霞も朧も存在せず、視界上1㎞以下のものを霧、
霧の薄いものを靄(もや)とよぶそうです。
ところが文学の世界では春は霞、秋は霧と区別し、
さらに春の夜の霞は朧(おぼろ)とよぶ入念さ。
霧といえば冷たく深く立ちこめるさまを思い浮かべますが、
霞と聞くと、ほのかに漂う暖かい気持ちになり、
誠に春に相応しい。
「 ひばり上がる 春へとさやに なりぬれば
都も見えず 霞たなびく 」
巻20-4434 大伴家持
( ひばり上がる春になりましたね。
都あたりも霞でぼんやりとしていてよく見えません )
当時、防人が難波を出航するにあたり、
朝廷から検校勅使とよばれる役人を派遣して
慰労の詔勅を下すのが習いでした。
上記の歌は兵部省難波駐在の役人あった作者が、
仕事を終えた役人を慰労する宴を催した席上のものです。
「 奈良の都も霞で見えませんね。
さぞ、早くお帰りになりたいことでございましょう」と
気遣いしたもの。
ひばりが天高く舞い、ピーチク、パーチクと囀る。
周りは霞におおわれ、妙なる声だけが響いている。
聴覚と視覚で春到来を詠った春らしい一首です。
「 春なれや 名もなき山の 薄霞 」 芭蕉
霞がかかり始めるのは3月で霞初月(かすみそめつき)
といいます。
早春の大和路を歩くと「たたなずく青垣」と詠まれた
四方の山なみがすべて霞にぼやけて、香具山、畝傍、耳成山、
三輪山などがうすい帳(とばり)に覆われて姿を隠し
まるで墨絵のようです。
「 耳成と 畝傍 濃淡 霞中 」 星野立子
万葉集991(霞 かすみ)完
# by uqrx74fd | 2024-03-17 09:32 | 自然