万葉集その六百五十四 (秋の草花)

( カワラナデシコ  奈良万葉植物園 )
b0162728_1683923.jpg

( ナンバンギセル  同上 )
b0162728_1682682.jpg

( ハギ 山の辺の道 巻向   奈良 )
b0162728_1681135.jpg

( ヒガンバナ  明日香 稲渕棚田 )
b0162728_1675712.jpg

( ハダススキ   石舞台公園  奈良 )
b0162728_167377.jpg

( 風に靡くススキ   同上 )
b0162728_1672031.jpg

( 三輪山   山の辺の道 )
b0162728_1673100.jpg

( 今年も豊作  明日香 案山子祭り )
b0162728_1664732.jpg

万葉集その六百五十四 (秋の草花)

秋の七草といえば山上憶良が詠った
「萩、尾花、葛、なでしこ、オミナエシ、藤袴,桔梗」が定番。
ところが、最近は花期がそれぞれ異なり同じ時期に出会うことが
出来なくなっています。

あちらこちらの植物園で七草コーナーが設けられていますが、
中秋まで咲いているのはオミナエシ、ススキに藤袴。
萩、葛、なでしこ、桔梗は夏の半ばから咲きはじめ、9月中旬に
終わっていることが多く、折角のコーナーも見栄えがしません。

というわけで、彼岸も過ぎたある日、今頃どんな草花が咲いているだろうかと、
思い立ち、奈良万葉秋の草花探しに出かけました。

まずは春日大社神苑万葉植物園の撫子コーナーへ。
毎年所狭しと咲いていましたが、今年は天候不順が続いたため、あるいは
もう散ってしまったのか、残っていたのはわずか数株のみ。
それでも色美しく健気な姿を見せてくれました。

「 我がやどに 咲けるなでしこ 賄(まひ)はせむ
      ゆめ花散るな いや若変(をち)に咲け 」 
                  巻20-4446 丹比国人真人( たじひの くにひとの まひと)

( 我が家の庭に咲いている撫子よ、欲しいものは何でも差し上げよう。
 だから、決して散るなよ。 
 これからも益々若返り、咲き続けていくのだぞ。)

755年の6月の終わり頃、作者は左大臣橘諸兄の推挙により栄進。
そのお礼にと諸兄に自宅への来駕を乞い、祝宴を設けた時の歌。
撫子にことよせて主賓の諸兄の繁栄と健勝を寿いだ挨拶です。
 左大臣が部下の自宅へわざわざ足を運んだのは、よほど目にかけていたのでしょう。
作者、真人の感激と喜びが感じられる一首。

「若変(おち)」は若返る意で、撫子が初夏から秋まで次から次へと咲き続け、
常夏という別名もあるので寿ぎ歌として取り上げられたものと思われます。

植物園を巡っていると「ナンバンギセル」開花の表示の立札が。
でも、芒の茂みの下蔭で咲いているのでなかなか見つけることが出来ません。
目をこらして探すと、あった、あった。

「 道の辺(へ)の 尾花が下の 思ひ草
       今さらさらに 何をか思はむ 」 
                        巻10-2270 作者未詳

( 道のほとりに茂る尾花の下で物思いにふけっているように咲く思ひ草。
  俺はもう、その草のように今さら思い迷ったりなどするものか )

ススキが風にそよぐ音、サラサラが「今さらさらに」の語を引き出すように
詠われ、リズムが心地よい。
作者は一体何を決心したのでしょうか。
好きな女性との決別、あるいは様々な困難を乗り越えて結婚、
正反対の解釈が出来そうです。

ナンバンギセルはハマウツボ科一年草の寄生植物で、ススキや、ミョウガ、サトウキビ
などの根元に生え、その根から養分をとっています。
秋になると紫紅色の花を咲かせますが、その先端が首をかしげて
物思いにふけっている様子から、古代の人たちはこの植物を「思ひ草」とよんでいました。

この漠然とした名前が現在の何に当たるかについて諸説ありましたが、
この歌の「尾花が下の思ひ草」つまり、ススキに寄生する姿を詠っていることが
決め手となり、現在ではナンバンギセルが通説となっています。
なお、ナンバンギセルは漢字で「南蛮煙管」と書き、南蛮から渡来した煙管(きせる)の
雁首に花の形が似ているとことから命名されたそうですが、これは後代(16世紀以降)
のことです。

   「 草陰で 思ひにふける 煙管花(きせるばな)
            そは誰をし 愛(いと)し染めける 」     筆者
         
今度は山の辺の道へ。
三輪山の麓からの出発し、約8㎞のハイキング。
柿、栗、ぶどう、蜜柑、ざくろ等が枝も撓むほどに実り美味しそう。

花はコスモス、ヒマワリ、そして綿の花。
萩はほとんど終わっていましたが、幸運にも巻向山の麓で赤白一対が満開。
まるで私の来訪を待っていてくれたようです。

「 妻恋ひに 鹿(か)鳴く山辺(やまへ)の 秋萩は
    露霜寒み 盛り過ぎゆく 」 
                             巻8-1600 石川広成 

( 妻に恋焦がれて鳴く鹿がいる山辺に咲く秋萩。
  その美しい萩も、露霜が寒々と置くので、盛りが過ぎて行くなぁ。)

743年、恭仁京、大伴家持宅宴席での歌。
頃は9月の終わり、鹿の声、萩、露を取り合わせて過ぎゆく秋を惜しみ、
「のびやかでうるおいがあり、素直な抒情が快い」(伊藤博)と評されています。

翌日、明日香石舞台の奥、稲渕棚田へ。
稲が間もなく収穫期を迎える中、彼岸花が満開。
案山子祭りも行われていました。

「 道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の いちしろく
      人知りにけり 継ぎてし思へば 」
                 巻11-2480  柿本人麻呂歌集 別歌

( 道端の「いちし」の花ではないが、とうとう世間様の噂になってしまった。
 私が絶えずあの子の事を想っているので。)

「いちしろく」の原文は「灼然」、「著しくはっきり」という意で、
壱師(いちし)の「いち」を掛けている。

真紅に燃えるように咲き、火花を散らしたような花びらを広げる彼岸花。
私の恋の炎は一瞬たりとも消えることがない。
そんな思いがとうとう世間の人に、ばれてしまった。

「恋は秘密に」というのが当時の習い。
ひよっとしたらこの恋は壊れるのではないかと心配している純情な男です。

なお、「壱師(いちし)」が現在のどの花に該当するか、諸説ありましたが、
牧野富太郎博士は彼岸花であることを力説され、山口県に「イチジバナ」 
山口県熊毛地方に「イチシバナ」北九州小倉地方に「イチジバナ イッシセン」の
方言があることが判明し(松田修 古典植物事典 講談社学術文庫 ) 
牧野説の正当性が裏付けられています。

彼岸花は冷夏、酷暑、多雨などの悪天候に関係なく時期が到来すると
必ず花を咲かせるなど極めて生命力が強い上、鱗茎の澱粉が極めて良質なので、
飢饉に備えて田畑に多く植えられた救荒植物です。
( 鱗茎:りんけい  地下茎の一種 ユリ根、たまねぎの類 )
ただし、アルカロイド、リコリンなどの有害物資を含んでいるので、
人々は鱗茎を細かく搗き砕き、一昼夜以上流水に浸して毒性を洗い流して
そうですが、古代の人々の生活の知恵は大したもの。

  「 歩き続ける 彼岸花 咲き続ける 」     種田山頭火

明日香は見渡すかぎりの彼岸花。
ゆっくりゆっくり歩いて石舞台公園へ。
ススキが元気よく生い茂り風に靡いています。

「 かの子ろと 寝ずやなりなむ はだすすき
          宇良野の山に 月片寄るも 」 
                          巻14-3565 作者未詳

( 今夜はあの子と一緒に寝ずじまいになってしまうのかなぁ。
 はだすすきが茂る宇良野の山に月が傾いている。)

はだすすき:「肌すすき」: 皮(苞)につつまれ未だに穂に出ていないすすき
                 ここでは宇良野の枕詞、
                 「穂の末(うれ)」の縁で「ほ」「うら」などに掛かる
宇良野:  長野県上田市浦野あたりか。

今夜は待望のデート。
約束の場所で今か今かと心をときめかせて待っていた。
ところが彼女は何時まで経っても姿を見せない。
一体どうしたのだろう? 
母親に止められたのだろうか。
それとも心変わり? 
あれこれ悩んでいるうちに月も傾き間もなく夜が明ける。
焦燥と絶望感、寂しさ、じれったさが染み入るような東歌の佳作です。

「 山陰の 野に暮れ急ぐ 芒かな 」    松窓乙二

間もなく夕暮れ時。
抜けるような青空の下、爽やかな秋の草花探しの旅でした。




           万葉集654 (秋の草花)完


            次回の更新は10月20日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-10-12 16:18 | 植物

万葉集その六百五十三 (月)

( 春日山の月  奈良 )
b0162728_10474440.jpg

( 中秋の名月  2017,10,4撮影 )
b0162728_10473160.jpg

(  同上 )
b0162728_10471553.jpg

(  若草山焼きと月    奈良 )
b0162728_1047120.jpg

( 歌川広重も絵に描いた月の松   上野公園 )
b0162728_10464869.jpg

( 狸囃子  明日香 棚田案山子祭り   奈良 )
b0162728_10462969.jpg

( 餅つく兎さん   同上 )
b0162728_10461061.jpg

(  二人で月見   同上 )
b0162728_10455239.jpg

万葉集その六百五十三 (月)

澄み切った秋の空。
地上を煌々と照らす月は爽やかで四季を通じて最も美しい。
それゆえ詩歌の世界で単に「月」と云えば「秋の月」をさし、
他の季節の月をいうときは「春の月」「夏の月」などの、ことわりがいるそうな。

今夜(10月4日)は仲秋の名月。
雲が少し多いが金木犀の香り漂う良夜です。
さぁさぁ、万葉人と一緒にお月見を致しましょう。

「 春日山 おして照らせる この月は
       妹が庭にも  さやけくありけり 」
                     巻7-1074 作者未詳

( 春日山一帯をあまねく照らしているこの月は
 いとしいあの子の家の庭にもさわやかに照り輝いていたなぁ。)

「おして照らせる」: 地上をあまねく照らしている

作者は数日前、愛しい人の家で一緒に月を愛で、その余韻にひたっています。

春日山の上で輝いている月は今日も我家の庭を照らしている。
あの時は彼女も月も美しかった。

酒杯を傾けながら、楽しかったひと時を瞼に思い浮かべ、
今頃、あの子はどうしているだろうか、と呟く男。

次の二首は春日山に隣接する高円山麓での月見歌です。

「 常はかって 思はぬものを この月の
     過ぎ隠らまく 惜しき宵かも 」 
                       巻7-1069  作者未詳

(  日頃はついぞ思ったこともないのに、目の前の月が西に傾いて
  見えなくなるのが、とりわけ惜しまれる今宵ですなぁ。)

招待された客の挨拶歌。
月を褒めることによって、主人への賛辞と謝意を述べたもの。
普段は月が落ちるのを見ても何とも感じなかったが、あなた様とこうして
盃を傾けながら月を愛でていると、時間が立つのが名残惜しく思われてなりません。

「 ますらをの 弓末(ゆずゑ)振り起こし 猟高(かりたか)の
      野辺(のへ)さへ清く 照る月夜(つくよ)かも 」
                              巻7-1070  作者未詳

( ますらおが 弓末を振りたてて猟をするという名の猟高の野。
 今夜はこの野辺まで清らかに照り映えて見えています。
 なんと素晴らしい月夜なのでしょうか。)

猟高: 奈良春日山に隣接する高円山近辺

客人に対する主人の返歌。
あなたさまと一緒に過ごすひとときは何と楽しいことでしょう。
この野原一面を照らす月の光も清々しく、酒も美味い。
さぁ、さぁ、もう一献どうぞ。

「 ぬばたまの 夜わたる月を 留(とど)めむに
        西の山辺(やまへ)に 関もあらぬかも 」 
                        巻7-1077  作者未詳

( 夜空を移つて行く月、この月を何とか引きとめる関所が
     西の山辺にでも ないものでしょうか。)

月を眺めているうちに、夜も更け明け方近くなってきた。
なんとかそのままずっと止まっていてくれないものか。

「 秋風に たなびく雲の 絶え間より
       もれ出づる月の  影のさやけさ 」
                      左京大夫顕輔(さきょうのだいぶ あきすけ)
                      新古今和歌集、百人一首


( 秋風に吹かれてたなびいている雲の切れ間から
 もれ出てくる月の光の、なんと明るく澄みきっていることか。)

「影のさやけさ」の「影」は光

秋の夜の華麗な月。
風に吹かれ流れてきた雲が一瞬月を隠す。
雲間から射す月の光もまた清々しく神々しい。
華やかさの背後に、そこはかとない寂しさが滲み出ている名歌です。

      「 月夜よし、 二つ瓢(ふくべ)の 青瓢(あおふくべ)
                   あら へうふらへふ と 見つつおもしろ 」 北原白秋


月に照らされながら ぶら下がっている二つの瓢箪が、
清風に吹かれて微かに揺れている。
盃を傾けながら眺めていると、飲むほどに
「あら、へうふら へふ」と酔いが廻ってきた。
これは、これは、瓢箪が揺れているのか、俺様が揺れているのか。
と興じている作者です。

 「 月読神(つくよみの かみ)にと 供(そな)ふ小机に
               茹で栗 団子 菊添ふすすき 」    窪田空穂



       万葉集653 (月)    完


      次回の更新は10月13日 (金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-10-05 10:56 | 自然

万葉集その六百五十二 ( コノシロ:コハダ)

( コノシロ  築地魚市場 )
b0162728_20454534.jpg

( コハダ  同上 )
b0162728_20453643.jpg

( シンコ  新富寿し  銀座 )
b0162728_20452430.jpg

( コハダ  同上 )
b0162728_20451185.jpg

( シンコの酢じめ  )
b0162728_20445382.jpg

( コハダの粟:あわ漬け  正月料理に多い )
b0162728_20444286.jpg

( 寿司乃池  千駄木 )
b0162728_20442932.jpg

万葉集その六百五十二 (コノシロ:コハダ) 

鮗(コノシロ)は、松島湾、佐渡以南の日本各地から南シナ海にかけて、
浅い海底近くで棲息しているニシン科の魚です。
左右に平たく、銀色の表皮の上に美しい白黒の模様、背びれの後端に
まるで自動車に付けたアンテナのような糸状突起があります。

幼魚は「シンコ」、7~10㎝位に成長すると「コハダ」(小鰭)、
15㎝はナカズミ、20~25㎝になると成魚「コノシロ」とよばれる出世魚です。

平城京で出土した木簡に「近代鮨」(このしろすし)と記されたものがあり、
万葉人もコノシロを味わっていたことが窺われますが、
握り鮨は江戸時代からなのでチラシ寿司あるいは酢しめか?

万葉集では、大伴家持 越中国司時代に詠われた長歌1首登場し、
「コノシロ」を「ツナシ」と詠っています。

「 - その秀(ほ)つ鷹は 
  麻都太江(まつだえ)の 浜行き暮(ぐ)らし
  つなし捕る 氷見の江過ぎて 
  多祜(たこ)の島 飛び廻(もとほ)り -」 
                         巻17-4011  大伴家持

( その優れた鷹は麻都太江(まつだえ)の浜を、日暮れまで飛び続け
  つなし漁をする氷見の入江も通り過ぎて、多祜(たこ)の島あたりを
 飛び廻り-)
    
麻都太江(まつだえ) : 高岡市雨晴(あまばらし)から氷見市街へかけての海岸
氷見の江 :     氷見市の布勢の海につながる入江
多祜(たこ)の島 :   布勢の海東南部にあった島、
現在、上田子、下田子の名をとどめる。

747年の秋、家持が都に出かけている間に、可愛がっていた鷹が
管理を任されていた使用人の不注意により逃げてしまった。
それを聞いた家持は、口惜しくて夜も寝られないくらい切歯扼腕し、
悶々とした日を過ごしていたが、ある夜、夢の中で仙女が現れ、
そのうちに帰ってくると告げられて喜んだ歌の一節です。

当時、氷見,七尾など富山湾に面した漁場でコノシロ、コハダが豊富に獲れ、
今もコハダ漁が盛ん、しかも万葉時代のまま「ツナシ」とよばれています。
その呼称は関西にまで及んでいますが、1300年前の魚の名前が今も
そのまま使われているとは驚きです。

「コノシロ」の語源については面白い言い伝えがあります。

「 昔、有馬の皇子が零落して放浪していたところ、下野の国(栃木)で
  五万長者という人物に助けられ、奉公することになった。
  長者には美しい娘がおり、かねてから常陸の国の国司のもとへ
  嫁ぐことに決まっていたが、なんと、皇子と相思相愛の仲になり
  あろうことか懐妊してしまった。

  一方常陸の国からは、矢のような嫁入りの催促。
  困りに困った親は、世間に娘が急病で死んだといい、急遽葬式。
  棺の中に「つなし」を入れて火葬した。

  当時、「つなし」の焼ける匂いが人間のそれと似ていると
  云われていたので、人々はそれを信じ、国司との婚約も無事解消。

  相思相愛の二人は手を取り合って他国へ逃れ、幸せに暮らした。

  それを聞いた後世の人は次のように詠った。

「 東国の 室の やしまに立つ煙
       たが子のしろに つなし焼くらむ 」

( 東国の火葬の室の上に立つ煙、あの煙は どなたの子の身代わりに
 つなしを焼いたのであろうか )

「このしろ」は「子の代」で「子の代わりになった魚」の意。
以後「つなし」は「このしろ」とよばれるようになったそうな。」

        (慈元抄より 末広恭雄 魚の博物事典 講談社学術文庫要約)


『 「このしろ」とよばれた魚は武家の時代に「こはだ」になった。
  「このしろ」は「この城に」通じ、自分の城を食うとはとんでもない。(塵塚談)

  ところが、「江戸懐古録」によると、太田道灌が江の島弁天に
  詣でた帰路、船に「このしろ」が飛び込んだ。
  道灌いわく「九城(このしろ)がわが手に入る。これ我が武を輝かす吉兆なり」
  と喜び、江戸城の築城を思い立った」

   縁起もかつぎようである。  』    ( 末広 恭雄 同上)

   「 市場人に 氷片ふられ 透くコノシロ 」    古沢太穂

「鮨種」となるのは桜の頃の「シンコ」と「コハダ」。
特に、カルシユウム、ビタミンB1を豊富にふくむ「コハダ」は
江戸時代から今に至るまで好まれ続けていますが、
板前さんにとっては手間がかかる材料なのです。

まず、魚の頭も内臓も取り、腹開きしてから塩をうすく振った笊に
皮目を下にして並べて振り塩、その加減が季節、脂ののり加減で微妙に違う。
塩がまわったところで水で塩を洗い流し、1時間ほど水けを切る。
さらに、前日の仕込みで使った酢で、1枚ずつ洗い、新しい酢に漬けて一晩置く。

他の魚のように、さばいて切るだけという訳にはまいりません。
しかも、コハダの産卵期間は半年もあり、生息地が日本海は新潟以南、
太平洋側は宮城以南と範囲が広く、1年を通して手に入る材料だけに、
その時期に応じた調理加減がプロとしての技量が問われるそうな。

 さぁさぁ、今が旬のコハダを戴きにまいりましょうか。

 「 江戸前の 粋な魚よ 銀の肌
    ゴマシオまだらの コハダ美(うま)し 」  筆者 
                     「美味し」と「美しい」を掛けています
追記
 この稿を書き終わると同時に次のようなニユースが発表されました。
( 2017年9月28日  西日本新聞 )

『 極上マグロにも匹敵、「コハダ」ピンチ。
  オスプレイで不漁の恐れ、
  漁師ら懸念、佐賀 』

 記事(要約)によると、

「 築地でコハダ最大の取り扱いを誇るのは佐賀産、全国の4割を占める。
  東京湾で獲れる江戸前より脂が乗っておいしく、形もきれいで理想的だ。
  有明海は餌が豊富なのだろう。
  中でも5~6月に漁獲される幼魚のシンコはとても品質が良く、
  極上のマグロにも匹敵する値段。

  このコハダは漁師が船上で声を押し殺すほど音に敏感だ。
  昨年11月,有明海上を米海兵隊のオスプレイが1機飛んだ。
  自衛隊機の佐賀空港配備を見据え、防衛省が行った試験飛行だ。
  万一、プロペラの音で逃げれば、漁は成り立たない。 

  そんな漁業者の心配を受けて、防衛局は今年の7月と8月にオスプレイの
  飛行音がコハダに与える影響を現地で調べた。
  結果の公表は早くても今秋の見通しだが、いくら問題ないと云われても
  コハダが逃げたおしまい。
  影響は佐賀だけにとどまらない。
  万一、不漁になれば多くの江戸前ずしフアンも悲しむことになる。」
                           

        万葉集652 (コノシロ:コハダ) 完


        次回の更新は10月6日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-09-28 20:53 | 動物

万葉集その六百五十一 (露草、月草)

( 露草 奈良法華寺で)
b0162728_19551353.jpg

( 露草とエノコログサ 同上 )
b0162728_19545986.jpg

( アカバナツユクサ  小石川植物園 )
b0162728_19544077.jpg

( オオボウシバナ 露草の変種   同上 )
b0162728_19542795.jpg

(  同上 )
b0162728_1954815.jpg

万葉集その六百五十一 ( 露草、月草)

  「 露草の 群生が わが目を奪う 」  高濱年尾

秋の早朝、野山を歩くと朝日を浴びた草木に置く露が
ダイヤモンドのようにキラキラ光っている。
その陰にひっそりと隠れるように咲いている一群の青い花。
近づいてよく見ると、帽子のような形をした露草です。
徳富蘇峰は「色に出た露の精」、新井白石は「月の光を浴びて咲く花」と讃え
俳人は
「 露草の 瑠璃の露落ち 瑠璃残り 」    吉岡 秋帆影

と詠いました。

露草の上に置く露は、瑠璃色の影を映して輝く。
やがて、露は滴り落ちるが花は依然として青い妖精。
美しい小宇宙の世界です。

然しながら花の命は短く、早朝に咲き夕方には萎(しぼ)む一日花。
その儚さが好まれたのか、古来多くの恋歌に詠われており、
万葉集にも9首登場します。

「 朝(あした)咲き 夕べは消(け)ぬる 月草の
      消ぬべき恋も 我(あ)れはするかも 」 
                           巻10-2291 作者未詳

( 朝に咲いては夕方に萎んでしまう露草。
 私の恋も切なくて、切なくて。
 身も心も消え果ててしまいそうな気持ちです。)

万葉集での露草は「つきくさ」とよばれています。
染料に用いるため臼で搗(つ)いて染めた、あるいは色が付き易いので
その名があるとされていますが、原文表示が「月草」となっているものが多く、
万葉人は、やはり夜の暗いうちに月の光をあびて咲くと感じていたのでしょうか。

「 うちひさす 宮にはあれど 月草の
     うつろふ心   我が思はなくに 」 
                   巻12-3058 作者未詳

( はなやかな宮廷に仕えている我が身。
 でも色の褪(さ)めやすい露草のような移り気な心、
 そんな気持ちであなた様を想っているのではありませんよ。)

露草は色が褪せやすいので、移ろいやすい恋に譬えて詠われています。

作者は宮廷に仕え、美しくも華やかな存在。
云い寄る男が多かったのでしょう。

「お前さん、他の男に気持ちが傾いているのか」と詰問する男。
「決してそんなことはありません。好きなのは あなただけ」と応える女。

「うちひさす」: 宮に掛かる枕詞 掛かり方、語義未詳なるも、
          日=太陽=天皇の連想から宮に掛かるようになったとも。

「 月草の 仮(か)れる命に ある人を
    いかに知りてか  後に逢はむと言ふ 」 
                      巻11-2756 作者未詳

( 月草のように儚い仮の命しか持ち合わせていないのに、
 それを、一体どういう身だとと思って、後にでも逢おうというのですか。)

この世の人間は仮の身しか持ち合わせていない儚い存在。
それをあなたは後々に逢いましょうとおっしゃる。
何故今すぐに逢おう、一緒になりましょうと云ってくれないのですか。

作者は女性に「またね」と婉曲に断られたのでしょう。
必死になって口説くが、脈なしか。

月草という名は江戸時代になると露草に変わります。
露を置いた姿が美しい、あるいは露が多く発生する時期に咲くことに
由来すると云われ、現在は秋の季語です。

友禅染めの下絵描きに用いられている露草の変種オオボウシバナは
その褪せやすい性質を利用したもので、上絵を描き終わった後、水で流すと
きれいに融け落ちる貴重な染料です。
夏の土用の頃の早朝に花を集め、手で絞って濃い藍色の汁を採り、
強い日ざしのもとで、和紙に刷毛で何回も塗り重ねて乾燥させ青花紙を作る。
下絵を描く時は短冊状に切って小皿にのせ、絵具のように水を含ませた
筆で溶く。
今日これに変わる染料は他にないと言われていますが、絶滅危機種です。

「 露草を 面影にして 恋ふるかな」   高濱虚子


ご参考

    京都新聞(2017,8,29)の記事から

「 友禅下絵「青花紙」、存亡の危機 
        滋賀、高齢化で生産者減 」

 友禅染の下絵描きに使われる滋賀県草津市特産の「青花紙」が、
高齢化による生産者の減少に直面している。
今年は2軒だけが紙を作っていたが、うち1人は今年限りでの引退を検討。
「紙を作る技術を伝えていきたい」と後継者を求めている。

アオバナから取れる染料は色が鮮やかで水に溶けやすいことから
友禅染に活用されてきた。
青花紙は、搾った汁を和紙に塗って天日で乾かす工程を約80回繰り返して作る。
使うときには小さく切って水に浸し、染料を溶かし出す。

 かつて青花紙は地域の名産として知られ、最盛期の大正時代には
500軒以上が生産していたとされる。
しかし、アオバナの花が咲く7~8月の炎天下で花びらを
一つずつ手作業で摘み取るため、地元では「地獄花」と呼ばれた過酷な作業や、
化学染料が普及したことで、近年は数軒だけが手掛けていた。

 生産者の1人、中村繁男さん(88)=同市上笠1丁目=は10歳のころから親の手伝いで花摘みを始め、70年近く作っていた。
最近は体調がすぐれず、重労働をこなすことが難しくなったため、
今夏、関係者に引退の意思を伝えた。
関係者は慰留しており、中村さんは後継者がいれば技術を伝えたいとしている。

中村さんは「アオバナは全国でも草津にしかない大事な花。
紙を作りたいという人がいれば、技を引き継ぎたい」と話している。
アオバナを使った特産品づくりなどを進める草津あおばな会
(事務局・草津市農林水産課)も今春、青花紙保存部会を立ち上げており、
「継承の方法を検討していきたい」としている。

   
            万葉集651(露草 月草) 完


      次回の更新は9月29日(金)の予定です。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-09-19 20:02 | 植物

万葉集その六百五十 (天平の紫)

( 紫草の花は白くて小さい   奈良万葉植物園)
b0162728_1744121.jpg

( 紫草の根は赤い   同上 )
b0162728_17434672.jpg

( 根を臼で搗いて砕く   西川康行  万葉植物の技と心  求龍堂より )
b0162728_17433254.jpg

(  紫根の染液に浸された絹     吉岡幸雄  NHK放映 )
b0162728_17431447.jpg

(  色々な紫色に染め分けられた絹    同上 )
b0162728_17425651.jpg

( 国宝 紫紙金字金光明最勝王経  和紙を顔料のような紫で染めた上に書かれた金文字
                            奈良国立博物館蔵 )
b0162728_17423912.jpg

( 再現された天平の伎楽の紫衣装   東大寺  吉岡幸雄作 )
b0162728_17421829.jpg

万葉集その六百五十 (天平の紫)

万葉人の憧れの色、「紫」は紫草の根から生まれます。
天平時代の人々が高度な染色技術を駆使して芸術品ともいえる織物を
作り上げていたことは、現存する数々の正倉院宝物に見ることが出来ますが、
驚くなかれ、万葉集にその染色の方法や、材料が詠い込まれているのです。

紫を詠った歌は17首、そのうち13首は作者未詳の庶民。
当時、紫草は上流階級の衣服を染める貴重な染料とされ、全国各地から税として
貢納されており、庶民の歌は、その作業の過程で詠われたのでしょう。

「 紫草(むらさき)は 根をかも終ふる 人の子の
    うら愛(がな)しけを  寝を終へなくに 」 
                           巻14-3500 作者未詳

( 紫草は根が途切れる(終える)ことがあるのかなぁ。
 この俺はあの子が可愛くてならないのに、
 まだ、一緒に寝るのを終えていないんだよ。)

「根を終ふ」「寝を終ふ」の語呂合わせ。
「人の子」は親に厳しく躾けられている子の意。

紫草の根はゴボウのように地中深く伸び、横にも大きく広がります。
作者は紫草の栽培する仕事に携わっていたのでしょう。
深く根をおろし、地中に長く続いていることを理解している歌です。

「 韓人(からひと)の 衣染(そ)むとふ 紫の
    心に染みて 思ほゆるかも 」 
                  巻4-569 麻田連陽春(あさだの むらじ やす)

( かの国の人が衣を染めるという 紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が、私の心に染みついて、あなたさまのことばかり
 思われてなりません。)

730年、大宰府帥であった大伴旅人は大納言に任ぜられ、都に向けて
旅立ちました。
この歌はそれに先立って催された送別の宴で詠われたもので、
旅人は紫の衣で正装していたものと思われます。

「韓人の衣染む」は優れた染色技術を伝えた渡来人の意。

紫根の染織を始めた当初、恐らく色も薄く、定着も悪かったのでしょう。
この歌は、渡来人が先進技術をもたらしたことを示しています。

「 紫は灰さすものぞ 海石榴市(つばいち)の
    八十(やそ)の衢(ちまた)に逢へる子や誰(た)れ 」
                            巻12-3101 作者未詳

( 紫染めには椿の灰を加えるものです。
  その椿の名がある海石榴市で出会ったお嬢さん。
  あなたの名前はなんとおっしゃるの? )

海石榴市(奈良県桜井市)には椿の木が多く植えられていました。
この歌は椿の生木を燃やした灰を灰汁(あく)にして、媒染剤として使用し
鮮やかな紫色を生み出していたことを示すものです。
この技術の確立により、紫の染色は画期的な進歩を遂げることになります。

「 託馬野(つくまの)に 生ふる紫草(むらさき) 衣(きぬ)に染(し)め
     いまだ着ずして 色に出(い)でにけり 」 
                                  巻3-395 笠郎女

( 託馬野に生い茂る紫草、その草で着物を染めました。
 出来上がった着物をまだ着ていないのに、もう人に知られてしまいましたわ )

作者が大伴家持に贈った歌で、託馬野(つくまの)は滋賀県米原市あたりの野。
                                
「託(つく)」には「色がよく付く」が掛けられています。                           
「紫草」は家持、「衣」は自分自身を暗示しており
「まだ契りを結んでいないのにあなたを思い慕っている事が
世間の評判になってしまった」の意がこもります。


「 紫の 名高の浦の 真砂地(まなごつち)
     袖のみ触れて 寝ずかなりなむ 」 
                       巻7-1392 作者未詳

( 名高の浦の細かい砂地、あの砂地には袖が触れただけで、
  寝ころぶことも なくなってしまうのであろうか )

真砂(まなご)の原文は同音の愛子(まなご)。
細かい砂と可愛い子の両方を掛け、その子に対する淡い思いを述べています。
また、「袖のみ触れる」は言葉だけを交わす仲。
共寝までは許さない女への男の嘆きです。

「名高の浦」は和歌山県海南市の海岸
「紫」は名高の浦の枕詞で、高貴の色とされて名高い紫の意。

603年、聖徳太子は「氏」とよばれる諸豪族の血縁集団が、地位、職業に応じて
姓(かばね)という尊称を世襲的に与えられていたのを改め、個人の功績に応じて
冠位を付与すること、いわゆる「冠位十二階の制」を定めました。

位階の冠の色は紫、青、赤、黄、白、黒とし、紫が最上位。
また服装もそれに準じ、以降、紫はやんごとなき人の色となり
平安時代以降も続きます。

我国で高僧に紫袈裟が下賜されたのは735年(天平7)。
聖武天皇が興福寺に住していた玄昉(げんぼう)に与えたのが最初とされています。

紫法衣は1141年(永治元年)
鳥羽上皇から青蓮院行玄に。
宗教の世界にも紫の権威が持ち込まれたのです。

その後、後鳥羽上皇は、曹洞宗、道元に紫衣を下賜しようとしましたが、
再三にわたり辞退、遂に勅命となり已む無く拝受するも、生涯その紫衣を
着ることがなかったとか。
名誉、地位に執着しない宗教家としての矜持を示したものといえましょう。

天平の紫は染色の第一人者、吉岡幸雄氏によって古代紫や深紫色再現の
試みがなされていますが、綾1疋(布帛2反)を染めるのに、
紫草根18㎏、酢2升必要とされ、さらにその作業工程は極めて手間がかかり
しかも触媒剤の椿の灰汁の加減によって色が千変万化するそうです。

古人の工程を簡単に列記すると

紫草の根を地中から掘り出し切断。
石臼で細かく砕く。
70~80度の湯を注ぎ、手で色素を揉みだす。
出来た染料を、目の細かいふるいで漉し不純物を取り除く。
染料液に絹の布を浸して染める。
椿の生木を燃やした灰を灰汁にして媒染し色を固定した後、水洗い。

この工程を30分ずつ、交互に繰り返し、
4~5日続けると濃い紫になる。

なお、椿の灰汁(アルカリ性)を加えると青系の紫
酢(酸性)に浸すと赤系の紫になるそうです。

手間も大変ですが消費される紫根も膨大なものとなり、しかも高価。
とうとう、紫の衣は禁色となり王侯貴族しか着ることが出来ないものになりました。

現在、正倉院に聖武天皇の遺品「金光明最勝王経帙(ちつ)」。
( 帙(ちつ)とは写経した経典を10巻ほどまとめて束ねるように包むもの
 細竹を芯として、紫草の根で染められた絹糸で編む。)

奈良国立博物館に
「紫紙金字金光明最勝王経」( ししこんじ こんこうみょう さいしょうおうきょう)
( 紫根で染めた紫の和紙の上に金泥で文字が書かれたもの )

など豪華絢爛な国宝が展示されており、天平の華やかな紫を
偲ばせてくれております。

「 あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
      野守は見ずや 君が袖振る 」 
                            巻1-20  額田王

   標野:皇族、貴族の狩猟地で立入禁止区域、紫草の栽培もされていた。

   「 白き花 地中深き赤根より
            紫の妹  にほひ出づる 」    筆者


        万葉集その650(天平の紫) 完

   次回の更新は9月20日(火) いつもより早くなります。
[PR]

# by uqrx74fd | 2017-09-14 17:46 | 植物