万葉集その二百五(春雨)

『 春雨の名所はなんといっても京都である。
私はちょうど今ごろの季節、京都をおとずれたことがあったが、それまでは
一面に霧がたちこめているのかと思っていた。
それが ふと賀茂大橋を渡りかけて賀茂川の水面を見ると糸のような波紋が
無数に描かれては消えてゆく。
気がつくと、なるほど雨とは見えないような細かい水滴が、空中を舞い上がり
舞い降りして、しっぽりと京の町をぬらしているので「降るとは見えじ春の雨」と
歌われたのはこのことだったかと感じたことがあった。 』


( 金田一春彦 月形半平太:ことばの歳時記所収:新潮文庫)

「 春雨に衣はいたく通らめや

  七日(なぬか)し降らば七日来(こ)じとや 」 巻10-1917 作者未詳


( 春雨ってそんなに濡れるものかしら。
肌着までびっしょり濡れ通るはずがないでしょ。
 七日も続けて雨が降ったら七日ともお出でにならないおつもり?)

古代の人達も春雨は大して濡れないものだと自覚していたようです。
作者は「男はもう自分に飽きたのかもしれない」と感じているのでしょうか。
内心では諦めの気持を持ちながらも、ひたすら訪れを待ち続ける儚(はかな)い女心。

「 我が背子に恋ひてすべなみ春雨の
            降るわき知らず出でて来しかも 」 巻10-1915 作者未詳 


( あの方が恋しくて恋しくて-。
とうとう気持を抑えきれなくなって見境もなく家を飛び出してしまいました。
春雨が降っているのにも気が付かないで-。 )

霧のような雨。無意識のまま外に飛び出した女。されど恋人の姿はなし。
道に立ち尽くして、しっとり濡れてゆく。
春雨という言葉は何となく艶なる趣を添えるようです。 

「 春雨のしくしく降るに高円(たかまど)の
             山の櫻はいかにあるらむ 」   巻8-1440 河辺東人


( 春雨がしきりに降り続いているなぁ。
高円山(奈良市)の櫻はもう蕾も膨らんだだろうか。いや、もう咲き出したかな)

櫻の開花に思いを馳せている作者。
春雨は木の芽を張り、花の開花を促すものと考えられていたのでしょう。


『 新国劇の芝居でみると、月形半平太が、三條の宿を出るとき
「春雨じゃ、ぬれて参ろう」というが、今思うと、彼は春雨が風流だからぬれて
行こうといったのではなく、横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん
傘をさしてもムダだから、傘なしで行こうと言ったものらしい。
そこへゆくと、東京の春雨は「侠客春雨傘」という芝居の外題(げだい)でも知られる
ように、傘を必要とする散文的な雨である。』 
(金田一春彦 : 月形半平太 同 )

「  春雨や 蓬(よもぎ)をのばす 草の道 」  芭蕉 
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by uqrx74fd | 2009-03-08 18:28 | 自然

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