2009年 03月 08日
万葉集その百九十一(白鷺の力士舞)
桙(ほこ)啄(く)ひ持ちて 飛び渡るらむ 」
巻16-3831 (長忌寸 意吉麻呂:ながのいみき おきまろ)
( 池の神様の御使いである白鷺がまるで力士舞を演じておられるようです。
ほらほら御覧なさい。木の枝を桙のように口にくわえて飛び渡っていますよ。 )
「力士舞」:伎楽(ぎがく)の一曲名
「桙」; 諸刃(もろは)の剣に長い柄(つか)を付けた武器、薙刀(なぎなた)はその転身。
伎楽とは色々な仮面をつけた人間が想像上の人物や動物などに扮して演じる無言音楽劇で、
古くは推古天皇時代の612年に百済人、味麻之(みまし)により伝えられたと云われています。
「力士舞」は伎楽の中でも大掛かりなもので、六十人編成で演じられていたそうです。
まず前奏曲が奏でられ、続いて獅子、迦楼羅(カルラ:仏教守護神)、婆羅門僧、等々の舞が
華やかに進行し、やがて最高潮に達したところで、人とも獣ともつかない顔をした
崑崙(こんろん)が巨大な張りぼての男根をつけて、絶世の美女にして貴族の
呉女(ごじょ)を追い掛け回します。
あわや、というところで正義の味方、仏教守護神である力士が登場。
満場喝采の中で力士が張りぼてを叩き折り、悪役崑崙を懲らしめるという些か
卑猥ながらも賑やかな煩悩退治劇?です。
冒頭の歌は宴席での即興歌で作者はこの種の面白歌を得意としていました。
当時、白鷺は神仏の宣託を伝える鳥として認識されていたらしく、口に木の枝を
くわえて飛んでいる鷺 (絵という説もある) をみて、
「意吉麻呂よ、これを歌に詠め!」と囃し立てたのでしょう。
作者をはじめ宴席の人々は「力士舞」のあらすじを熟知していたようです。
即興歌を聴いた満座の人々はその場面を想像し拍手喝采したことでしょう。
神聖な神様の使いである白鷺。その口には男根に見立てられた木の枝。
その姿から伎楽の力士舞を思い描いた万葉人。なんとファンタジックな人々よ!
森 豊氏はこの歌について以下のように述べられています。
「 呉公、呉女という中国南方の国。 インド、エジプト、アッシリアからの獅子。
インドの迦楼羅(カルラ)や 金剛、力士、婆羅門。
崑崙というさらに西南方の黒人。
そしてその背後にギリシャ演劇の余映ものぞかれることになる。
力士舞、そしてその一連の伎楽はまさにシルクロードの舞楽が集大成されている。
万葉集のこの歌はその伎楽のように楽しい歌である 」
(シルクロードと万葉集:六興出版 より)
朝廷は大宝律令制定(701年)後、雅楽寮を設置し伎楽師、伎楽生を育成しました。
そして時折々の行事でその成果が披露され、貴族、官人たちは伎楽の曲名を聞くだけで
その内容を理解できるほどに鑑賞されていたとものと思われます。
現在、正倉院、法隆寺、東大寺などに伎楽面が多数所蔵されており、
特別な行事の折には伎楽も演じられ、往時の様子を偲ばせてくれております。
「 しら鷺の舞ひ舞ひ霞む田の面哉 」 幸田露伴
by uqrx74fd | 2009-03-08 12:51 | 動物