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万葉集その百九十(嘆きの霧)

7世紀後半の頃、朝鮮半島の新羅は唐を背景にして百済を滅ぼし、威勢盛んな国でした。

日本書紀、続日本紀によると我国は646年から779年までの間に27回もの遣新羅使を
遣わして相互の交流につとめ、新しい文物を採り入れていました。

736年6月のことです。阿部継麻呂を大使とする第23次遣新羅使の出立が迫ったころ、
都では長い別離を前にして使人の妻が万感の想いを込めて夫に詠いかけていました。

「 君が行く海辺の宿に 霧立たば
   我(あ)が立ち嘆く息と知りませ 」   巻15-3580  遣新羅使人の妻


( 貴方が行く先々の海辺の宿に霧が立ったなら、その霧はお帰りを今か今かと、
 お待ちしながら嘆いている私の深いため息だと思って下さいませね )
 
「なんと可憐な妻なのだろう。ため息を霧とは!」と微笑みながら応える使人です。

「 秋さらば 相見むものを何しかも
     霧に立つべく嘆きしまさむ 」 巻15-3581  遣新羅使人
 

( 秋になったら帰ってくるのだから、そう心配するなよ。大丈夫、大丈夫。
 霧となって嘆くなんて大げさなことを。それよりお前こそ体に気をつけてな) 

当時の船旅は海図、航海術が不十分な上、暴風雨も多く生還は期し難いものでした。
使節の往復には少なくとも6ヶ月掛かると予想され、秋に帰国することは到底無理な
ことを承知で妻に心配かけまいと労っている優しい夫です。
一行はいよいよ難波を出航します。

「 夜霧の彼方へ 別れを告げ  雄雄しき丈夫(ますらお)出て行く
  窓辺にまたたく灯(ともしび)に つきせぬ乙女の愛のかげ 」
                                (“ともしび”より)


やがて船は瀬戸内海の風早にさしかかります。

「 沖つ風 いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)が
    嘆きの霧に飽かましものを 」 巻15-3616  作者未詳

「飽く」:十分堪能する
( 沖から風が強く吹いてくれたらいいのになぁ。
いとしいあの子の嘆きの霧に心ゆくまで包まれることが出来るのに。
でも、待てど暮らせど一向に風が吹いてこないなぁ )

まだまだ心の余裕があった使人たち、風早という地名にかけての洒落歌です。 
             
ところが事態は急変します。周防灘あたりで暴風雨に見舞われて大分中津まで漂流する
憂き目に遭い、壱岐では星術で方向を判別していた使人、雪宅麻呂が死亡、などが重なり
旅程は遅れに遅れて対馬に到着したのは、もう秋も深まった10月の初め頃でした。

更に船足を重ねてようやく新羅へ辿り着きますが、国同士の関係に円滑さを欠いていた
ため新羅側は使節団の受け入れを拒否しました。
再度交渉しても受け入られず、一行は憤りと失望を抱きながら空しく帰国の途に就きます。

不幸には不幸が重なるものです。
帰路、またもや暴風雨に遭遇した上、疫病(天然痘か?)に感染し、大使は対馬で病死、
副使も同地で病気療養已む無きにいたり最悪の事態に陥りました。

往路での詠歌は140首、復路は僅か5首。流石に歌を詠む気力も無くなったことでしょう。
遣新羅使総勢は約二百人。その半数は帰国することが出来なかったと推定(犬養孝)され、
まさに悲劇の使節団でした。この歌の作者の生死も定かではありません。

「 さやうなら霧の彼方も深き霧 」 三橋鷹女

by uqrx74fd | 2009-03-08 12:50 | 生活

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