万葉集その百八十七(埴生の宿)

「 埴生の宿もわが宿   玉の装(よそい)うらやまじ - - 」

(ビショップ作曲 里見義作詞 埴生の宿1番)

「はにゆう」は古代「はにふ」とよばれ、「はに」は鉄分を多く含んだ黄赤色の
粘りのある土、「ふ」はその土を産する地をさします。

後に転じて、農耕以外に使われる特別な土をいい、土器、瓦、壁、塗装、
染料等に用いられ、それを扱う専門の技術集団は土師(はにし、はぜし)と
よばれました。

なお、万葉集での「はにふ」の原文は黄土、赤土、埴布、黄粉の字が
当てられています。


「 彼方(をちかた)の 埴生(はにふ)の小屋に小雨降り
床さへ濡れぬ身に添へ我妹(わぎも) 」    巻11-2683 作者未詳


( 人里離れたこの粗末な家。雨漏りでとうとう寝床まで濡れてしまったよ。
お前さんもっとこちらへおいで。寒いだろう。おれにぴったりと寄り添えよ)

古代に「埴生(はにふ)の小屋」という成語がすでにあったらしく「賤しい小屋」という
解釈がなされています。(万葉集辞典 佐佐木信綱編) とすればこの歌は私達が
幼い頃に覚えた「埴生の宿」のルーツといえましょう。

貧しいながらも仲よく過ごす楽しい我家を彷彿させる心温まる一首です。

「 馬並(な)めて今日わが見つる住吉(すみのえ)の
         岸の黄土(はにふ)を万代(よろずよ)に見む 」 
                巻7-1148 作者未詳


( 今日皆で馬を並べながら見た住吉の岸の埴生。
いついつまでも繰り返し見たいものだなぁ)

「岸」は原文で「崖」という字が当てられているものがあり「岸の黄土」は
「崖の台地から採れる黄土」という意味のようですが、その黄土を
「いついつまでも繰り返し見たい」とは一体どういうことでしょうか?

実は、当時の住吉は唐津、博多と共に文化のレベルが高い港町で
遊女も大勢いました。
男たちは競ってその住吉の麗人に会いたがっていたのです。

「 めづらしき人を我家(わぎへ)に住吉(すみのえ)の
         岸の黄土を見むよしもがも 」 
                      巻7-1146 作者未詳

( 可愛い娘を我が家に迎えて住まわせたいなぁ。
そのような女性が居るという住吉の岸の黄土を見る手立てはないものかなぁ。
 
「住吉の黄土」は上記の歌とともに美しいの女性を暗示し、住吉は住むを
懸けています。

「染める」という言葉は沖縄歌謡で「肌を重ねる」という意味にも使われ
(谷川健一;古代歌謡と南洋歌謡)、可愛い娘を「染め」、自分も「染まりたい」と
願ったのです。

「住吉の黄土」は砂と粘土との中間の細かさを有する土、即ち「シルト」で
そのままでは陶土にすることができなかったようです。
然しながら、そのシルトを染料にして絹を染めると絢爛たる黄金色になり
(古代の色:金子 晋) 都の男達が憧れの女性を
「住吉の岸の埴生」と讃え、「染まりたい」と望んだのも大いに頷けます。

埴生で思い出されるのは「埴輪」。 
                               
古代、我が国では殉死の悪弊がありました。
「日本書紀」によると「垂仁天皇の時代(古墳時代)、野見宿禰という人物が
埴生で人馬や種々の物の形を造りそれを陸墓に立てて殉死の風習に
変えることを建議し、天皇は大いに喜ばれて採用した。 

埴輪の語は墳墓の周りに輪のように立てたのでその名がある」と伝えています。

「 埴輪の目 色なき風を通しけり」 工藤弘子 
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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:47 | 生活

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