万葉集その百八十四(栗:くり)

栗は今から9000年前に我国で自生していたといわれ、青森県三内丸山遺跡から
出土したDNAの分析によると縄文時代には既に優良種を選択して栽培していたとも
推測されております。
古代から食料に供されたほか材は堅くて耐水性があるので建築、土木 枕木、造船、
家具、さらに椎茸のほだ木、薪炭など多方面に利用されてきた有用の植物です。

「 瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ いずくより来りしものぞ
  まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝さぬ 」 
                             巻5-802 山上憶良


( 瓜を食べると子どものことが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲ばれる。
 こんなに可愛い子どもというものは一体どういう宿縁でどこから我が子として
生まれてきたものであろうか。 やたらに眼前にちらついて安眠させてくれないよ )

「まなかひ」:「眼の交(かひ)で眼前」 「もとな」(元無);わけもなくやたらに」

大宰府に単身赴任していた憶良の子を思う親心がひしひしと伝わってくる
有名な長歌です。

仏教では物事に執着することは例え自分の子でさえも道にもとるとされていました。
敬虔な仏教徒である作者はその教えは十分に承知しながらも子どもは可愛くて
可愛いくてどうしょうもないと訴えております。

菓子類が少ない古代では栗やマクワ瓜は子供たちの好物だったことでしょう。
正倉院文書によると栗は一升(今日の四合)約八文といわれ米(五文)よりも高い
贅沢品だったようです。

「 三栗(みつぐり)の 那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の
   絶えず通はむ そこに妻もが 」     
                      巻9-1745 高橋虫麻呂歌集


( 那賀村のすぐ向かいにある曝井の泉は絶え間なく水が湧き出ているそうです。
 もし、そこにわが妻がいたなら私もひっきりなしに通うのになぁ )

栗の毬(いが)は熟すと頂部から4つに裂け中の実を表出させます。
普通は1毬に3個入っているので三つ栗といい中央の扁平なものを中栗とよびます。
そのようなことからこの歌での三栗は那賀(中)に掛かる枕詞として用いられました。

作者は公用で常陸を旅している途中、曝井に婦女が集まって洗濯をするという
話を聞きそこに「わが妻がいてくれたらなぁ」と望郷の念をもよおしたようです。
なお、「常陸国風土記」に「曝井に清き湧き水があり、婦女達が洗濯をして布を晒した」と
地名の由来を伝えてくれています。

「 栗も笑み をかしかるらんと思ふにも
    いでやゆかしや秋の山里 」    建礼門院右京大夫集


( 麓の山里の栗は今頃毬もはじけて微笑みかけているような風情でしょうね。
 さぁさぁ栗狩りに出掛けましょうかと うきうきするような気分ですわ。)

「ゆかし」は「なんとなく心がひかれるさま」。
「栗の毬がはじけた様子」が「栗も笑み」。 美しくも微笑ましい日本語です。

縄文、弥生の遺跡から発見されている自生の栗は小粒の「シバ栗」でこの種から改良、
栽培がなされ、文献での栽培の記録は288年の応神天皇記が最古のものとされています。
さらに平安時代の延喜式 (禁中の儀式や制度を記す)から丹波がすでに栗の名産地として
知られていたことが伺われます。

「 炊き上る時の甘き香 栗御飯 」 菅井いな
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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:44 | 植物

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