万葉集その百七十三(古代の船)


我国最古の船は千葉県安房郡の加茂遺跡から出土した丸木舟で
今から5千年前のものと推測されています。(縄文前期)

古代人は楠、杉、松などを用いて大小様々な船を造っていたようで
特に大型のものは「仁徳天皇の時代に巨大な楠の木で
「早鳥」という快速船つくり天皇の飲料水を運んだ」、(播磨国風土記)、
「応神天皇の時「枯野(軽野)」という高速船が活躍した」(日本書紀)などの
記述にみえます。

「 鳥総(とぶさ)立て 船木伐(か)るといふ 能登の島山
      今日見れば木立茂しも 幾代神(かむ)びぞ 」

              巻17-4026 大伴家持


( 鳥総を立てて神に捧げ、船木を伐り出すという能登の島山。
今日見ると木々が茂りに繁っています。幾代も経たその神々しさよ。 )

「鳥総」とは枝葉がついたままの梢の部分をいいます。
人々は木を伐採した後、「鳥総」の切っ先を切り株に突きたてて
木の再生を神に祈りました。

当時は能登のほか伊豆、熊野、足柄での造船が盛んだったことが
知られています。
その造船方法は山で伐採した丸木をその場で刳りぬき、
刳り船として川に流し海辺で舷側などをつける作業をしていたようです。

なお「鳥総立て」は「ことばの鳥総を立てる」(前 登志夫) 
即ち「言葉の再生を願う」などのような形で現在でも使われております。

「 いずくにか舟泊(ふなは)てすらむ 安礼(あれ)の崎
       漕ぎ廻(た)み行きし棚なし小舟 」 
                       巻1-58 高市黒人


( 今頃どこに舟泊りしているのであろうか。
 さっき安礼の崎を漕ぎめぐって行ったあの棚もない小さな舟は )

安礼の崎:所在未詳なるも 愛知県宝飯(ほい)郡 音羽川河口あたりとも。
棚なし小舟;舷側の横板もない小さな舟

作者は大海の中を今にも波にのまれそうな不安定さで消え去っていった小舟に
旅愁と人生の孤独感を重ねているようです。

「 安礼のさきィ- 漕ぎィ廻みィ行きィしィ-棚なしィ 
“イ”という しみ通るような韻。 歌は音楽。
実に寂しい感じが小刻みに出ている。
作者の次から次へと漂泊してやまない孤独感 」 

(犬養孝 万葉の人々より要約抜粋)



当時の船は刳舟(くりぶね)とよばれる丸木舟にはじまり
技術の進歩と共に二つ以上の刳り舟の部材を組み合わせた縫合船、
舷側板がついた準構造船、大型で部材を釘などで
打ち付けた構造船へと発展していきます。
 
「 海人小舟(あまをぶね) 帆かも張れると見るまでに
     鞆の浦みに 波立てり見ゆ 」  巻7-1182 作者未詳


( 海人が小船に帆を張っているのが見えるよ。
おぉ、鞆の浦に大きな波が立ってきた。帆と見えたのは白波なのかなぁ。)

帆を張ったとたんに追い風をうけて走り出したのでしょうか。
白波を立てて進んでいる舟はまるでヨツトのようだったことでしよう。

当時の帆船は帆柱を中央に立てただけの低度のものでした。
帆による走行が本格化するのは帆布に用いる木綿が普及する
15世紀以降といわれております。

「 船は出て行く帆掛けて走る
  茶屋の女子(おなご)は出て招く」       (古歌)

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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:33 | 生活

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