万葉集その百七十(夏野)

「夏」という字はもともと古代のシャ-マンが頭上に飾りをつけた大きな仮面をかぶり、
足を揺らしながら踊っている様子を表した象形文字とされています。

「古代の楽章には九夏、韶夏(しょうか)のように夏というものが多い。
その舞台は威儀の堂々たるものであったらしく、
夏にはまた大の義がある。」(白川静)

その本義である「舞踏、大いなるもの」が失われ、草木が盛んに茂って
大地を覆う季節を表わす言葉になったのはかなり後の時代であったようです。


「 夏野行く小鹿(をしか)の角の束の間も
     妹が心を忘れて思へや 」 
          巻4-502  柿本人麻呂



牡鹿の角は秋から冬にかけて落ち、春に生え変わります。
初夏の頃の角はまだ短く「束の間」の束は握りこぶしの
4本の指位の長さとされています。

「鹿の小角」を「短い時間、空間」を表わす比喩として用いることは
現代人には理解し難いものですが当時の人々にとって鹿は
ごく身近に見られる存在だったからでしょう。

緑したたる草深い野原を分け入るように小鹿が目の前を歩いていく。 
「あなた!心が変わりしたの?このごろ冷たいのね」と彼女。

作者は小鹿を指差し「あの短い角のように片時もお前さんを忘れているものか」と
答えたのでしょうか?
夏野、小鹿から若々しさと草いきれの熱気が伝わってくる青春の恋歌です。

「 人言は夏野の草の繁くとも
    妹と我(あ)れとし たづさわり寝ば 」 
                 巻10-1983 作者未詳


( 夏草が盛んに茂っているように、我々のことが随分噂に
  なっているようだね。   でもかまうものか。
 お前さんと一緒に寝ることさえ出来たら平気だよ )

女性はあまりの噂に男と関係を持つことをためらっているようです。
声を励まして一生懸命口説いている男の姿が眼に浮かびます。

「 ま葛延(は)ふ 夏野の茂く かく恋ひば
     まこと我が命 常ならめやも 」 巻10-1985 作者未詳


( 葛が一面に這い広がる茂み。その草々が次から次へと生い茂るように
  私もこんなに激しく恋し続けたらとてもとても命がいつまで持つか分かりませんわ。 )

葛は秋の七草の一つとされていますが夏は数十メートルにも延びる巨大なものも
あります。
「 こんなにも恋慕っているのにつれない男ね!もう諦めようかしら 」と悩む女性です。

「 たてよこに富士伸びてゐる夏野かな 」 桂 信子

 富士山を大樹に見立てた雄大な一句です。          
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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:30 | 自然

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