万葉集その百六十八(苔)


  「苔生えぬ早花咲きぬ露もちぬ」 士朗

苔は湿地を好む蘚(セン)、苔(タイ)類と乾燥している樹皮や岩上を好む地衣類に
大別され、前者はスギゴケ、ゼニゴケ、後者はサルオガセ、ウメノキゴケなどが
知られております。

古くから苔は歌のよき題材とされ、「苔むす」は長久、「苔の衣」は出家、
「苔の岩戸」は住まい、「苔の下」は草葉の陰、死後の世界などと多彩な表現が
なされてきました。

「 神なびの みもろの山に斎(いは)ふ杉
     思ひ過ぎめや 苔むすまでに 」
                   巻13-3228 作者未詳


( 神が住むという三輪山。私は身を慎んで境内の御神木である杉を
  崇め奉っています。
  その杉ではありませんが、これから先、苔がむすほどに長い時が経とうとも
  私の愛情が消え失せるなどということは絶対にありません。 神に誓って! )

「みもろ」は「神が籠るところ」で、奈良県櫻井市三輪山。
「(思ひ)過ぎ」に「杉」を掛ける

この歌は前段に「 いつまでも幸せに通婚(通い婚)する手立てを夢で教えて下さい 」と
神に祈る長歌があり男が新婚の祝宴で誓いの言葉を述べているものと思われます。
出席の人達も声を和して歌ったかもしれません。

神、山、杉、苔と祝宴にふさわしい言葉が並び、厳粛な宴の様子が偲ばれる賀歌です。

「 み吉野の 青根が峰の蘿席(こけむしろ)
    誰(た)れか織りけむ 経緯(たてぬき)なしに 」 
                       巻7-1120 作者未詳



( 吉野の青根が岳。あの苔のむしろは一体だれが織り上げたのでしょう。
なんと素晴らしい!まるで絨毯みたいですね。 縦糸も横糸も区別がつきません )

この歌の蘿は木にからまるサルオガセともされていますがここでは絨毯のような
苔の筵のほうがふさわしいように思われます。
自然の営みの素晴らしさに驚嘆している作者の姿が目に見えるようです。

「 結ひし紐(ひも) 解かむ日遠み敷栲(しきたへ)の
         我が木枕(こまくら)は苔生しにけり 」 
                      巻11-2630 作者未詳



( あの人が結んでくれた紐。この紐を解くのはまだまだ遠い先になりそう。
  私たちの枕にとうとう苔が生えてきましたわ )

敷栲は敷物にする布。寝具にするところから枕、袖、衣手の掛かる枕詞。

古代夫婦や恋人が長い旅に出る時、お互いに下着の紐を結び合い
会の時まで解かないと誓い合う習慣がありました。
「浮気は絶対にしません」と約束する「指きりげんまん」のようなものです。

「苔むす枕」という表現は愛する人がいない寂しさのあまり涙で枕を濡らしている
情景をも想い起させます。

野宿を重ねて旅する男も次の歌のような心情だったことでしょう。

「 あしびきの山路の苔の露の上に
      寝ざめ夜ぶかき月をみるかな 」 
                藤原秀能 (新古今和歌集) 

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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:28 | 植物

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