万葉集その百五十九(千曲川)

「千曲川いざよふ波の  岸近き宿にのぼりつ
 濁り酒濁れる飲みて  草枕しばし慰む 」  

(島崎藤村 旅情より一部抜粋)

藤村がこよなく愛した千曲川。千古の昔は美しき乙女の恋の舞台でした。
花が咲き、残雪の山々が連なる信濃の春。
清冽な川の流れの脇で乙女はじっと小石眺めています。

 「 信濃なる 千曲(ちぐま)の川の さざれ石(し)も
    君し踏みてば 玉と拾はむ 」  
                巻14-3400 作者未詳


「この石はあの方がお踏みになったのね」とそっと取り上げ胸に抱きしめる。
目を閉じて「 あぁいとしいお方! 私の宝物 」とはにかむようにつぶやく。 
このような光景が目に浮かぶような歌です。
 
当時「人の体のふれたものにはその人の魂が宿る」と信じられていました。
乙女にとって拾った小石は恋人そのものだったのです。
現在にもある「形見分け」などの習慣は当時の信仰がそのまま
引き継がれたものでありましょう。

「 千曲(ちぐま)なに 浮き居(を)る舟の漕ぎ出なば
     逢ふことかたし今日(けふ)にしあらずは 」 
               巻14-3401 作者未詳


( あの岸辺に浮いている舟が漕ぎ出して行ってしまったら
 もう二度とあの方にお逢いできないでしょう。
 せめて今日だけでもお逢いしなくては!)

綱が解かれたら再び逢うことができないところへ行ってしまう人への慕情。
男、女どちらの歌ともとれますが雰囲気としては女のものかと思われます。

一部には遊女説(伊藤博)も。
この歌の「千曲な」の原文は「中麻奈」となっており訓み方に
諸説ありますが以下は大変興味ある学説です。

  『 「中」は「チグ」と訓まれた「沖」と同音である。したがって
「中麻奈」は「チグマナ」と読むべきであって千曲川のことである。

信濃には7世紀頃までアイヌ人が住んでいた。
今のアイヌ語で川を「ナイ」というから「チグマナ」の「ナ」はアイヌ語の
川という意味の語根が残ったものである 』

    ( 都竹 通年雄 論文「巻14の中麻奈より」要約抜粋 )


一目10万本といわれる花に埋め尽くされた信州あんずの里。
日本一のあんずの里になったきっかけは江戸中期に
伊予宇和島藩の姫が松代真田藩に輿入れしたとき
アンズの種を持参したことに始るといわれております。

 「 花あんず かがやき流る千曲川 」  岡村美恵子
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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:19 | 生活

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