万葉集その百五十七(花吹雪)

 「 花吹雪 滝の岩ねの かがやきぬ」 川端茅舎

ここは花の吉野山。緑の山並みを埋め尽くす見渡す限りの
桜、さくら、サクラ 。 
突然、谷底からの渦巻くような一陣の風が吹き上がってきました。
花びらが空高く舞い上がり、そして流れてゆきます。
まさに豪華絢爛たる花絵巻です。

「 峰(を)の上の桜の花は 滝の瀬ゆ 散らひて流る -  」
            巻9-1751(長歌の一部) 高橋虫麻呂


峰の上から視界一面を覆って舞い落ちる花びら。
川一面に散り敷いた花びらはやがて連なり筏のように流れていきます。
あまりの見事さに
「これ以上花を散らさないように龍田山の風神様にお願いに行きましょう。
あとでこの道を通るあの方のために」と詠う作者は
公用で難波に赴いた帰路この美しい光景に出会ったようです。

この長歌は流れに浮かぶ花びらの美しさを詠った最初のものとされて
おります。
 
 「 雉(きぎし)鳴く 高円の辺に桜花
     散りて流らふ見む人もがも 」 
                 巻10-1866 作者未詳


( キジが鳴く高円山のあたりの桜。 風に吹かれて流れ散っています。
  見事な光景ですねぇ。一人で見るのは勿体無い、
  誰か一諸に見る人いないかな)

高円山(たかまどやま;奈良)の麓の白豪寺は萩の名所で
知られていますが奈良時代は桜の山だったようです。

散る桜を愛でる万葉人。
そこには命のはかなさを詠う無常観は微塵もみられません。
古代人にとって散るべき時に散る桜は命の再生と農作物の豊穣を予祝する
めでたきものでした。

「春風の花を散らすと見る夢は
  さめても胸のさわぐなりけり 」 
            西行 (山家集)


 『 「さめては胸のさわぐなりけり」は頭の中で考え出した情景ではない。
  私にはそれはどうやら西行の吉野山での落花の経験を土台にしていると
  思えるのだ。
  一瞬にして散る花吹雪の壮絶に感嘆の声を挙げ、その夢が覚めた後も
  異様に胸が波打っている。
  夢さめた西行は床の中で自分の胸の鼓動をじっと量っているようだ。』
                   ( 山本健吉 遊糸繚乱より一部抜粋)

「西行は月の歌もそうですが桜の歌はその桜を女性に置き換えると
 よく分かるのです」
        (佐々木幸綱 国文学1996年10月号での対談より)


吉野の桜を愛してやまず、生涯その美を追い求めた西行。
「ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」
と念願通り桜の季節にその生を終えました。

 「 雪ならば幾度袖をはらはまし 
         花の吹雪の志賀の山越 」 
                 謡曲(志賀より)

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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:17 | 自然

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