万葉集その百五十五(さきくさ:三枝)

「さきくさ」はその枝が三つに分かれているところから「三枝」と表記され
「三椏」(ミツマタ)のこととされています。
( 沈丁花、ヤマユリなどの説もあり)

古くから楮、雁皮と並んで重要な和紙の原料とされ、丈夫で栽培しやすい上
精巧な印刷や透かし入れが可能なため現在では主として紙幣、証券、
印紙などに用いられています。

 「 春されば まずさきくさの 幸(さき)くあらば
   後にも逢はむ な恋ひそ我妹(わぎも)」   
           巻10-1895 柿本人麻呂歌集


( 春になるとまず咲くさきくさ。その言葉のように幸く無事であったら
  必ずまた会えるでしょう。そんなに恋焦がれて苦しまないで下さい。
  いとしい人よ)

作者はこれから長い旅に出かけるのでしょうか?
当時の旅は野宿、食料持参が原則。
途中の山道で迷い狼や熊に襲われたり、また食が尽きて
行き倒れる人も多く、無事生還の保証がありませんでした。

「幸くあらば」に実感がこもる一首です。

三椏は十二月頃蜂の巣のような蕾を生じ、そのまま越冬します。
早春になると薄い黄色の花をつけ周囲にほのかな芳香を漂わせて
くれます。

 「 枝ごとに三つまた成せる三椏の
    つぼみをみれば蜂の巣の如 」  長塚 節


紙の発明は105年中国の蔡倫(さいりん)が「樹皮、麻、ぼろきれ、
魚網から紙をつくった」(後漢書)のが最初のものとされています。

我国は奈良時代に独自の製紙法を開発していましたが
610年高句麗の僧曇微(どんちょう)が最新の技術をもたらしたと
伝えられています。(日本書紀)

現存最古の紙は聖徳太子筆といわれる法華義疏(ほっけぎしょ)で産地は不明。

最古の和紙は701年の美濃、筑前、豊前各国の戸籍に用いられたものとされ、
いずれも正倉院文書として保存されております。

奈良時代の正倉院文書は約1万点保存されていますが、
その多くに産地が記されており紙漉きを行っていた国は20カ国に及んでいます。
各国府で政庁の指導の下に製紙場が設けられて各地で消費する紙をまかない、
上質のものは中央に貢納されました。

平安時代には和紙を貢納する国が42カ国にもなり京都の官営の紙屋院では
大量の反故紙を漉きなおしてリサイクルし、再生した紙は墨色が残るので
薄墨紙とよばれていたそうです。

 「みつまたや みな首たれて花盛り」 前田普羅
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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:15 | 植物

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