万葉集その百五十四(藻塩焼く)

 「勇気こそ地の塩なれや梅真白」    中村草田男

この句は1944年教師であった作者が学徒出陣するにあたって
学生に「はなむけの言葉」として贈ったもので「地の塩」は
マタイ伝にみえるキリストの言葉とされています。

人間の生存に不可欠な塩。
岩塩層や鹹湖(かんこ:濃塩湖)などの資源を持たない古代の
我が国の人々は海産物を干物にして間接的に摂取するか又は
海水から採取する以外に方法がありませんでした。

 「 志賀の海女は 藻(め)刈り塩焼き暇(いとま)なみ
   櫛笥(くしげ)の小櫛取りも見なくに 」
            巻3-278  石川少郎(せうろう)


( 志賀島(福岡市)の海女は海藻を刈り取り、塩を焼いたり
 一日中たち働いているので
 櫛箱の櫛を取り出して身を整える暇もないようだ )

海から海藻を採って天日で乾かし何度も何度も海水を汲み上げては
掛けて塩分の濃度を高めて火で焼く作業を「藻塩焼く」といいます。

塩水の飛沫で衣はボロボロになり男でも重労働のこの仕事は
女性にとっては過酷なもので、森鴎外がその著「山椒大夫」で
安寿がその仕事に携わる様子を生々しく伝えております。

 「 - - 淡路島 松帆の浦に朝なぎに、玉藻刈りつつ夕なぎに
   藻塩焼きつつ海人娘子- - 」  巻6-935 笠 金村


( 朝凪に藻を刈り採り、それを一日中天日に干して
 夕凪に焼いて塩を採る海人おとめ )

この歌で凪が強調されるのは風が強いと燃やした灰が吹き飛んでしまう為です。
焼いた灰を回収してさらに海水で溶解させて上澄み液を取った後土器で焼いて
濃縮しようやく塩が採れたのです。

 「 須磨人の海辺(うみへ)常去らず焼く塩の
     辛き恋をも我(あ)れはするかも 」 
         巻17-3932 平群氏郎女


( 須磨の海女は一日中海辺で塩を焼いています。
 その塩のように辛くも切ない恋を私はしたものです)

作者は大伴家持の若き時代の知人で十二首の歌を贈りましたが
片思いで終わったようです。

辛い仕事であった「藻塩焼き」は「揚げ浜式塩田法」の採用により
幾分か楽になります。
海岸から少し高いところの砂に何度も海水を掛けて乾燥させ、
さらに土器で加熱蒸発を繰り返します。

やがて土器から鉄釜になり、さらに人力による海水の汲み上げから
潮の干潮を利用した「古式入浜塩田法」とよばれる海水の自然流入による
改良がなされるに至ってようやく塩の大量生産が可能となりました。

宮城県塩竈神社では松島湾から藻を刈り採って焼く
「藻塩焼き」神事が行われており今もなお古代の面影を
伝えてくれています。(毎年7月4日から3日間)

 「- 千賀の塩竈の明神とはこの翁と言い捨てて 
 帰るそなたか煙立つ
 塩竈の浦に行きにけり 塩竈の浦に行きにけり - 」  
         謡曲 (阿古屋松)

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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:14 | 生活

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