IE9ピン留め

万葉集その百五十一(源実朝)

鎌倉幕府三代将軍、源実朝(1192-1219)は武家の棟梁であるとともに
歌人として多くの秀歌を詠み「金塊和歌集」を編んだことでも知られています。

少年期から京都歌壇の重鎮、藤原定家の指導を受け「新古今和歌集」
「万葉集」を定家から贈られ歌作に励みました。

まずは実朝のあまりにも有名な歌です。

「 大海(おほうみ)の磯もとどろに寄する波
    われて砕けてさけて散るかも 」    実朝


次の万葉の歌三首は実朝が参考にした歌と思われるものです。

「 大海(おほうみ)の磯もと揺り立つ波の
     寄せむと思へる浜の清けく 」    
           万葉集巻7-1239 作者未詳

「 伊勢の海の磯もとどろに寄する波
    畏(かしこ)き人に恋ひわたるかも 」   
           万葉集 巻4-600 笠郎女


        註:畏き人:身分が高い人(大伴家持をさす)

「 聞きしより物を思へば我(あ)が胸は
    破(わ)れて砕けて利心(とごころ)もなし 」  
          万葉集巻12-2894 作者未詳
   

    註: 「聞きしより」:噂を聞いてから 
       「利心」:しっかりした気持ち、理性

実朝の歌と万葉三首を比較すると一瞬
「あれっ。“大海の”“礒もとどろに寄する波”
“われてくだけて”をつなぎ合わせただけではないか?」と感じられます。

然しながら実朝の歌をよく吟味すると万葉歌の言葉を多く使いながらも「われて」
「くだけて」「さけて」「ちる」という時間の経過と共に波が変化する様子を分析的に
捉えており、結句に向かって徐々に力強く変化していく独特の声調があります。

斉藤茂吉はその著「源実朝」で 

「 その雄大な光景はまことに心地よい。- - 
 おもふに実朝は先進の歌(註:万葉歌)を何一つおそるるところなく
 ためらふところなくそれを摂取しそれを学んでいるうちに
 その言語を自分のものとして同化し、今度は実際の対象に相向かったときに
 極めて自然にかつ的確にその実相を表現しえるまでに
 なってゐたのではあるまいか 」  と述べています。

新古今和歌集が編まれた鎌倉時代初期は京都貴族の没落が
決定的になってきた時期でした。
彼らは貴族文化の優越性を守る為にあらゆる技巧をこらした
複雑な歌の世界を作り上げ必死にその権威を守ろうとしました。

当時の歌壇で万葉調の歌を詠むなどとは思いもよらず、
旧来の壁を突き破るのは容易な事ではありません。

実朝はこのような因習をいとも簡単乗り越え、
「古今、新古今を通過した万葉調」(小田切秀雄:万葉の伝統)
ともいうべき独自の新しい歌境を作り上げた天才的な歌人でした。


1219年2月27日(旧暦1月27日)、実朝は甥の公暁に
鶴岡八幡宮で暗殺され28歳の若さでその孤独な生涯を終えます。

渡宋の志があったといわれている実朝。
遥か彼方の海の果てを眺めながら若き将軍は何を想っていたのでしょうか?

「 鎌倉に実朝忌あり美しき 」 高濱虚子

by uqrx74fd | 2009-03-08 12:10 | 心象 | Comments(0)

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