万葉集その百五十(現人神の登場)

672年、古代最大の内戦「壬申の乱」が勃発しました。

天智天皇の後継者である大友皇子と天智の弟大海人(おおあま)皇子との
甥叔父間の皇位継承争いです。

近江朝から見れば大海人は賊軍。大義名分が不可欠となった大海人は
「我こそ皇祖天照大御神の直系の正統なり。
 我軍は神に守られた軍団であるぞ」と
声高に味方の士気を鼓舞します。

当時、兄弟間の皇位相続が多かったことに加え、大友皇子の母が
身分が低い采女であったため(大海人の母親は斉明女帝)
このキヤッチフレーズに多くの豪族が共感し大海人軍は圧倒的な勝利をおさめます。

乱平定後、天武天皇として即位した大海人は、声高らかに次のように讃えられます。

「 大君は神にしませば赤駒の
     腹ばう田居を都と成しつ 」 
          巻19-4260 大伴御行(家持の祖先)


( わが大君は神であり、超人的なお方であるぞ!
 強靭とされている赤馬でさえも動くのに難儀していた泥沼の湿原地を
 都に造り変えられた。)

この歌が天皇を神と詠った最初のもの(他に一首あり)で現人神登場の序章です。

天武天皇はさらに「古事記」「日本書紀」の編纂を開始して天孫降臨と
「天照大神の子孫が日本の国の王となるべきものである」という天照大神のお告げ、
いわゆる「天壌無窮の神勅」を創作し皇位継承の正当性の裏付けとします。

「 ちはやふる 神の御坂に幣(ぬさ)奉(まつ)り
         斎(いは)ふ命は母父(おもちち)がため 」
    巻 20-4402 神人部子忍男(みのひとべのこおしを)


( 神のいますこの御坂に幣を捧げ奉ります。
  どうぞ無事に国境をお通し下さい。
  ほかでもない母父のためにも大切な私の命なのです)

   註:幣=五色の紙や布を細かく切ったもので紙吹雪のように撒く

天武天皇は政治基盤をより強固にするために律令制度を中心とした
中央集権国家をめざし天皇親政としました。

然しながらもう一つの大きな障害を乗り越えなければなりません。

それは「国つ神」とよばれるそれぞれの土地の神々の存在です。
当時、土地を通行する旅人の半数を殺したという恐ろしい神もいたのです。
(播磨風土記)
人々は国境を越えるたびに幣を供えて旅の安全を祈り恐れ慄きながら
旅をしていました。

中央集権国家の確立のために迅速な情報の伝達が不可欠です。
そのために幹線道路を整備し駅馬、駅舎を備えましたが通行する
肝心の官吏が土地の神々を怖がっていたのでは話になりません。

そこで考え出されたのが神々の中央集権、つまり
「天皇が天つ神として地方の国つ神に君臨する」 という考え方です。

「 山川も依りて仕ふる神(かむ)ながら
     たぎつ河内に舟出せすかも 」 
           巻1-39 柿本人麻呂

( 山の神も川の神も天皇に御仕えする時代になりました。
  天上の神であられる天皇は今ここに吉野川の激流に
  船出なさろうとしています)

ここに至って天皇は、国つ神に君臨する絶対神へと昇華します。
時の天皇は持統女帝。自身を天つ神である天照大神(女神)に
重ね合わせています。
その後、宮中儀礼行事のたびに群臣が列席する中「天皇は神」と詠われ、
宮廷歌人柿本人麻呂が大きな役割をはたしました。

それから30年後。律令国家としての政治基盤も安定し天平時代は
最盛期を迎えます。

聖武天皇吉野行幸の折の山部赤人の歌からは「天皇は神」という言葉が消え、
自然の美しさを讃えながら皇室の繁栄を暗喩する内容に変化していきます。

更に藤原貴族の台頭による天皇の力を牽制する動きや仏教の興隆などにより
現人神は「三宝(仏法僧)に仕える奴」に転落し、完全に消滅するに至りました。

「現人神」は乱世における古代国家統一の手段として創造された産物であったのです。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 12:09 | 生活

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