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万葉集その百四十一(たまきはる)

「たまきはる」とは「魂(たま)が極限の状態になって あるものの中にみなぎる(きはる)」
 の意(橋本四郎、伊藤博)とされています。

江戸時代の国学者賀茂真淵が

「多麻(タマ)は魂(タマ)なり。
  岐波流(キハル)は極(キハマル)にて 人の生まれしより ながらふる
 涯(カギリ)を遥(ハルカ)にかけていう語なり」(冠辞考) 


の解説が後世に与えた影響が大きく 「かぎりをはるかにかけて」
に長い時間の連続性が意識される奥深い言葉です。

また、古代人は魂の永続性を信じていた反面、肉体は衰えるものであり、
「人間の寿命は120年」と認識していたことが山上憶良の長歌(巻5-897)からも
窺えます。

 「 直(ただ)に逢ひて 見ればのみこそ たまきはる
        命に向ふ 我(あ)が恋やまめ 」  
            4-678中臣女郎(なかとみのいらつめ)


( あの方に直接会って抱き合うことが出来たら
  私の寿命のある限りをかけての恋心も収まることでしょうに。
  どうやらかなわぬ夢となりそうです)

作者は大伴家持のガールフレンドといわれていますが詳細は未詳です。
「命に向かうわが恋」には「生命の極限に向かって私は恋をする。
それは時間とか距離などではなく深さを求めるもの」(中西進)という気持ちが
含まれており、激しい執念の中にも片恋の辛さ、寂しさが感じられます。

 「 かくのみし 恋しわたれば たまきはる
           命も我は  惜しけくもなし 」  
          巻9-1769 抜気大首(ぬきのけだのおびと)


( こんなにただひたすらにあの女に恋してしまって!
  エェーイもう命なんか惜しくもないよ。もう都なんか帰らないぞ!)

この歌は筑紫に赴任した官人が現地妻を娶ったとの詞書きがあり、
三首連作の中の一首。
異郷を我家と詠っており、相手は余程魅力ある女性だったのでしょう。

 「 あかあかと 一本の道 とほりたり
    たまきはる 我がいのちなりけり 」 斉藤茂吉 (「あらたま」より)


太々とした道が一本野中を通り「この道こそ我が行く道」であると
歌の世界に生きる強い決意を述べたものと思われます。

「吾が道は一(いつ)以てこれを貫く」(論語:里仁第四) 

という孔子の言葉を思い出させる歌です。

茂吉は医者として家業に携わるかたわら、正岡子規、万葉集の影響を
強く受けて伊藤左千夫に師事し、「アララギ」の創刊に加わりました。

生涯に詠んだ歌は1万7千余首。歌壇の代表的人物とされていますが、
「源実朝」 「柿本人麻呂」等の大著をも著わし、万葉集を語る上でも
不可欠の人物です。

 「 たまきはる いのちをうたに ふゆごもり 」 飯田蛇笏

by uqrx74fd | 2009-03-08 12:00 | 心象

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