2009年 03月 08日
万葉集その百三十八(玉響:たまゆら)
この音を治子は“たまゆら”と言っていた。- - 私は曲玉の古代の人を思ってみた。
古代の人がなにかと身を動かすにつれて曲玉の“たまゆら”が聞こえたのだろうか。
- 私は古代の人の愛の時の“たまゆら”を思ってみたのであった。」
川端康成 (「たまゆら」より)
「 たまゆらに 昨日の夕(ゆふべ)見しものを
今日(けふ)の朝(あした)に 恋ふべきものか 」
巻11-2391 柿本人麻呂歌集
( 昨夜の、ほんの僅かなひととき。お会いして愛を交わしたばかりなのに- -。
一夜が明けてお帰りになると、もうこんなにあなたが恋しくなるなんて、
こんなことがあってよいものでしょうか )
古代での「見る」は含みの多い言葉です。
この歌は女歌、男歌どちらにも取れますが、
男が帰った後に残された女性のものとしたほうが
後朝(きぬぎぬ)の余韻が残るように思われます。
調べの響きがよく純真な恋心が感じられる歌です。
玉響(たまゆら)という言葉はもともと翡翠や瑠璃などの
美しい宝玉が触れ合ってかすかな音をたてるところから生まれ、
転じて「ほんのしばしの間」、「かすかな」、「あるかないか」
という意味に用いられました。
なお、この歌の「玉響」には多くの異訓があり「玉かぎる」「たまさかに」
「たまもたまも」「まさやかに」などとも訓まれております。
「 玉ゆらの 露も涙も とどまらず
なき人こふる 宿の秋風 」
藤原定家 (新古今和歌集)
( 露の玉も涙の玉もわずかの間もとどまっておりません。
亡き母の面影を恋しく偲んでいるこの家に秋風が吹き、はらはらと散らすので )
この歌は1193年の秋京都に台風が襲来した折、定家が父俊成の屋敷へ
見舞いに訪れ年初に亡くなった母を偲んで詠ったものです。
ここでの「玉ゆら」は「玉」の縁から「露」「涙」が導かれいます。
「秋風に吹き散らされた草葉の露」「亡き母を恋いしたって片時もとどまらない涙」
美しくも心に染み入る名歌です。
藤原俊成、定家親子二代で築き上げた歌の家「御子(みこ)左家」は
鎌倉時代に「二条」「京極」「冷泉:れいぜい」の三家に分かれました。
今は「冷泉家」だけが残り父祖伝来の貴重な古典籍を伝え続けてくれております
「 君が手とわが手とふれしたまゆらの
心ゆらぎは知らずやありけん 」 大田水穂
by uqrx74fd | 2009-03-08 11:57 | 心象