万葉集その百三十八(玉響:たまゆら)

 「-  曲玉の二つ三つ糸に通して静かにゆると玉が触れ合ってかすかな音がする。
  この音を治子は“たまゆら”と言っていた。- - 私は曲玉の古代の人を思ってみた。
  古代の人がなにかと身を動かすにつれて曲玉の“たまゆら”が聞こえたのだろうか。
  - 私は古代の人の愛の時の“たまゆら”を思ってみたのであった。」
                        川端康成 (「たまゆら」より)


 「 たまゆらに 昨日の夕(ゆふべ)見しものを
      今日(けふ)の朝(あした)に 恋ふべきものか 」 
         巻11-2391 柿本人麻呂歌集


( 昨夜の、ほんの僅かなひととき。お会いして愛を交わしたばかりなのに- -。
 一夜が明けてお帰りになると、もうこんなにあなたが恋しくなるなんて、
  こんなことがあってよいものでしょうか )

古代での「見る」は含みの多い言葉です。
この歌は女歌、男歌どちらにも取れますが、
男が帰った後に残された女性のものとしたほうが
後朝(きぬぎぬ)の余韻が残るように思われます。
調べの響きがよく純真な恋心が感じられる歌です。

玉響(たまゆら)という言葉はもともと翡翠や瑠璃などの
  美しい宝玉が触れ合ってかすかな音をたてるところから生まれ、
  転じて「ほんのしばしの間」、「かすかな」、「あるかないか」
  という意味に用いられました。


なお、この歌の「玉響」には多くの異訓があり「玉かぎる」「たまさかに」
「たまもたまも」「まさやかに」などとも訓まれております。

「 玉ゆらの 露も涙も とどまらず
         なき人こふる  宿の秋風 」     
                 藤原定家 (新古今和歌集)


( 露の玉も涙の玉もわずかの間もとどまっておりません。
  亡き母の面影を恋しく偲んでいるこの家に秋風が吹き、はらはらと散らすので )

この歌は1193年の秋京都に台風が襲来した折、定家が父俊成の屋敷へ
見舞いに訪れ年初に亡くなった母を偲んで詠ったものです。

ここでの「玉ゆら」は「玉」の縁から「露」「涙」が導かれいます。
「秋風に吹き散らされた草葉の露」「亡き母を恋いしたって片時もとどまらない涙」
美しくも心に染み入る名歌です。

藤原俊成、定家親子二代で築き上げた歌の家「御子(みこ)左家」は
鎌倉時代に「二条」「京極」「冷泉:れいぜい」の三家に分かれました。
今は「冷泉家」だけが残り父祖伝来の貴重な古典籍を伝え続けてくれております

 「 君が手とわが手とふれしたまゆらの
         心ゆらぎは知らずやありけん 」 大田水穂

[PR]

by uqrx74fd | 2009-03-08 11:57 | 心象

<< 万葉集その百三十九(巌:いはほ)    万葉集その百三十七(新嘗祭) >>