万葉集その百三十七(新嘗祭)

「新嘗祭」とは天皇が新穀を天地の神々に供えて感謝を捧げ、
ご自身も食される儀式です。
その起源は古く神話時代に遡りますが、文献上では642年11月16日の新嘗祭が
最初のものとされております。(日本書紀)

 「 天地(あめつち)と久しきまでに万代(よろずよ)に
    仕へまつらむ黒酒白酒(くろきしろき)を 」 
     巻19-4275  文室知努真人(ふみやのちののまひと)


(天地とともに遠い遠い先まで万代にお仕えいたしましょう。
このめでたい黒酒や白酒を捧げて)

752年11月25日新嘗祭の後、肆宴(とよのあかり)といわれる宴会が催されました。
この歌は孝謙天皇の詔に応じて詠まれ、新米で造った酒を捧げて治世の長久と
五穀豊穣を祈ったものです。

黒酒はクサギという木の灰を加えて黒い麹で造ったもの、何も加えないのが白酒です。
肆宴(トヨノアカリ)の「アカリ」は元々御酒で顔が赤くなることをいいましたが転じて
宴会の意となりました。その後、宮中での天皇主催の宴をさすようになり、現在も
皇居の「豊明殿」にその伝統が受け継がれております。

 「 誰(た)れぞこの 屋(や)の戸押(お)そぶる新嘗(にふなみ)に
   我が背を遣(や)りて 斎(いは)ふこの戸を 」 
                   巻14-3460 作者未詳


( 誰ですか、この家の戸を揺さぶる人は! 夫を新嘗のお祭りに送り出して
 自分も潔斎し、神に感謝を捧げているこの家の戸を揺さぶる人は!)

当時、民間でも新嘗祭の儀式を行っており、斎戒、沐浴した女性が祭司となって
神事をとり行っていました。その最中に下心をもつ男が忍び込んできたので叱責した
ものですが本気で怒っている様子はなく、満更でもない顔が目に浮かぶような歌です。

「 にほ鳥の 葛飾(かづしか)早稲をにへすとも
     その愛(かな)しきを外(と)に立てめやも」
                     巻14-3386作者未詳


( にほ鳥は水に潜(かず)きます。
 その「かず」という名前をもつ葛飾で収穫した早稲の
 新穂を神に捧げて斎み籠っている夜です。
 でも、もしあのいとしい人がおいでになったら外に立たせておくことなど
 とても出来ませんわ。 仮に禁忌を破り神の怒りに触れようとも)

「にほ鳥」:「カイツブリ」葛飾(カズシカ)の枕詞
「にえす」:「贄す」で神に新穀を供えて斎み籠る意

新嘗祭儀式の間、家族でさえ戸外で夜を明かし祭司が籠る家に入るのを禁じていました。
「神に背く事も辞さないと」詠ったこの歌は「数多い信仰上のタブ-を少しずつ打ち
破って自由の幅を広げつつあった」(佐々木幸綱)ことをうかがわせます。

11月23日は「勤労感謝の日」、その前身は明治6年に制定された「新嘗祭」の祝日でした。

 「 新嘗祭 子を抱きて よき父といはれ」 加藤楸邨
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by uqrx74fd | 2009-03-08 11:56 | 生活

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