万葉集その百三十五(韓藍:からあゐ)

韓藍とは鶏頭の古名で「韓(から)の国から渡来した染料(藍)になる花」
という意味です。

もともとインドや熱帯アジア原産のもので古くからその鮮やかな紅は染料や絵の具として
用いられていました。
ここでの「藍」という言葉は色の藍をさすのではなく染料の総称として使われております。

「 我がやどに 韓藍(からあゐ)蒔き生(お)ほし 枯れぬれど
     懲りずてまたも 蒔かむとぞ思ふ 」 
             巻3-384 山部赤人


( 我家の庭に韓藍を蒔いて育てていたが、残念にも枯れてしまったよ。
 でも懲りずにまた蒔きましょう)

外来の植物は育てるのが難しかったことでしょう。しかしその鮮やかな紅の花は
エキゾチックな美女を連想させます。この歌には
「美しい女性を苦労して世話をしてきたが何かの都合で不縁になってしまった。
これに懲りずにまたいい人を見つけよう」との意が含まれているようにも思えます。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし
      韓藍の花を 誰(た)れか摘みけむ 」 
                巻7-1362 作者未詳


( 秋になったら移し染めにでもしょうと種をまいて一生懸命育てた韓藍の花なのに
 誰だ!摘み取って持っていった奴は! けしからん!)

「移し」は花を衣に摺りつけ移し染めにすることを言いますが、結婚する、共寝する
という意味にも用いられます。

大切に育てた娘を結婚前に見知らぬ男に取られてしまった親の嘆きの歌と思われ、
無念そうな顔が目に浮かぶようです。

鶏頭は花穂の頂が鶏の赤いトサカ状になるためその名があります。
このトサカ状のものを花と見がちですが、本当の花はトサカ冠の下に扁平に
なった部分があり、ここに小さな花がびっしりと付きます。

「 鶏頭は 冷たき秋の日に映えて
    いよいよ赤く 冴えにけるかも 」 長塚 節
 

秋も深まり他の草木が枯れ始める頃になっても、なお元気に咲き誇る赤い花。
「いよいよ」という言葉に限りない生命力を感じさせます。

詩歌では「葉鶏頭」も「鶏頭」と詠まれていますが、同じヒユ科の植物でも萼片、
雄しべの数が違い別属のものとされ、「雁の来る花ぞと文字には書きたる」と
枕草子にも見えているように「雁来紅」(がんらいこう)ともよばれております。

「 鶏頭や 雁の来るとき 尚(なお)赤し 」 芭蕉
[PR]

by uqrx74fd | 2009-03-08 11:54 | 植物

<< 万葉集その百三十六(木綿の山)    万葉集その百三十四(蟋蟀:こおろぎ) >>