万葉集その百二十七(稲刈り)

「八月晦日(はづきつごもり)がた、太秦に詣づとて、
 穂に出でたる田に、人いと多くて騒ぐ。
 稲刈るなりけり。“早苗取りし何時の間に”とはまこと、げに先(さい)つ頃、
 賀茂に詣づとて見しが あはれにもなりにけるかな」 

 ( 枕草子;清少納言 二百十七段より)


「八月晦日」は陰暦八月の最終日をいいます。
「早苗取りし何時の間に」は下記の歌をふまえたものです。

 「昨日こそ早苗取りしかいつのまに 
    稲葉そよぎて秋風の吹く」 
         (読み人知らず 古今和歌集秋上)


奈良時代、貴族官人に田暇(でんか)と称する農事休暇が与えられ、
貴族の女人や下級官人たちも自ら農事にあたっていました。

 「 しかとあらぬ五百代(いほしろ)小田を刈り乱り
     田盧(たぶせ)におれば都し思ほゆ」 
                  巻8-1592 大伴坂上郎女


(大して広くもない五百代(約3000坪)位の田んぼなのに休んでは刈り、
 刈っては休みして仮小屋暮らしも長引いてしまいました。
 あぁ、あの華やかな都暮しが懐かしい!)

約3000坪の田圃は大貴族の大伴家にとって大して広いとも
思わなかったのかもしれません。
「田盧」とは今日でいうところの「出作り小屋」で、そこに寝泊りしながら農事を行い、
また田の神様の送り迎えもしたようです。

稲刈りは根から刈り取る「根刈り」と稲首を摘み取る「穂刈」とがありました。
鉄製の鎌も既にありましたが、一般の農民はほとんど石包丁を使用して
いたところから穂刈が一般的だったと推定されております。

「 稲搗(つ)けば 皹(かが)る我(あ)が手を 今夜(こよひ)もか
    殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ」 
                巻14-3459 作者未詳


( 稲を搗いてひび割れた手、この私の手を今夜もまたお屋敷の若様が
 手にとって撫でながら、可愛そうに 可愛そうにとおっしゃって下さることでしょうか )

「皹(かが)る」とは手足が「ひび割れ」することで、稲を刈り取った後、
 脱穀から精米までの作業は霜枯れの寒い朝などは特につらいことだったことと
 想像されます。

自分のひび割れた手を恥らいながら、お屋敷の若様との逢瀬を想いみる- -。
ロマンティックな場面が想像される歌ですが、稲搗きの辛さをまぎらわせる
集団の作業歌ともいわれております。

「 見下ろせば里は稲刈る日和かな 」  正岡子規
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by uqrx74fd | 2009-03-08 11:46 | 生活

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