万葉集その百二十六(風立ちぬ)

「それはもう秋に近い日だった。- - 砂のやうな雲がさらさらと流れてゐた。
そのとき不意に何処からともなく風が立った。
“風立ちぬ いざ生きめやも”ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を私は - -
口の裡(うち)で繰り返していた」         (堀辰雄 風立ちぬ より)


季節の節目、節目を敏感に感じとらせてくれる風。
私たち日本人は風流、農耕漁労の世界を問わず絶えず風を意識しながら
暮らしてきました。

秋の風は素風、金風ともよばれます。
また荻(おぎ)は秋を知らせるものとされ「荻の声」といえば秋風をさします。

「 秋立ちて幾日(いくか)もあらねばこの寝ぬる
    朝明(あさけ)の風は手本(たもと)寒しも」 
      巻8-1555 安貴王(天智天皇曾孫)


( 立秋になってからまだ幾日もたっていないのに起きぬけのこの明け方の風は
 手首にひんやりと冷たいなぁ)

夜明けの風に初秋の気配を敏感に感じ取った歌です。
あるいは一人寝の無聊をかこつ気持も含まれているかもしれません。

「 君に恋ひ 萎(しな)えうらぶれ我(あ)が居(お)れば
   秋風吹きて 月かたぶきぬ 」 巻10-2298 作者未詳


( あなたに恋焦がれて元気なくうなだれている私。あれこれ物思いにふけっていると
秋風がさっと吹きすぎてゆきました。 ふと見上げると月も傾き夜もふけて- - )

「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ」(竹久夢二) 

の世界を思い出させるような歌です。
「秋風吹きて」に男女の仲が冷えはじめたことを感じさせます。

「 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ
      秋風立ちぬ宮城野の原 」 西行 新古今和歌集


( 秋風が立つ季節になりました。あの懐かしい宮城野の原にも秋風が吹いて
 美しい玉のような露が草葉の間からこぼれ落ちていることでしょう)

西行は生涯で二度東北地方への旅をしました。
宮城野は仙台東部一帯の広大な土地をいいますが、この辺りは古来から
萩の花や草葉の露の美しさで知られた歌枕の地です。

『「秋風立ちぬ」という表現は「飽き風立ちぬ」に重なり、そう読むならば「草葉の露」が
こぼれるとは人がひそかに流す「涙」のことにほかならない。
つまり宮城野の秋の美景をうたった歌は失恋の歌という第二の主題をも同時に
低く鳴らしているわけである。
しかしそちらの意味はあくまで下に隠してこの歌をみちのくの風景の美をうたったものと
鑑賞するところに奥床しい余情というものがあった。 』  
   
 ( 大岡信著 歌のある風景 より)

「秋風のさはぐ夕(ゆうべ)となりにけり)    良寛
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by uqrx74fd | 2009-03-08 11:45 | 自然

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