万葉集その百七(田植)

奈良時代の水稲耕作は、直接籾種を蒔く直播式から苗代で育てた苗を
移植する田植式へ移行する過渡期にあたり、二通りの方法で田植を
行っていました。
人々は苗代の中央や水口(田の水の取り入れ口)に生命力の強い
青柳やツツジの枝を挿して苗の順調な発育を祈ります。

「 青柳の 枝(えだ)伐(き)り下ろし 齊種(ゆたね)蒔き
         ゆゆしき君に 恋ひわたるかも 」  
              巻15-3603 作者未詳


( そろそろ田植の時期です。
  青柳の枝を伐り取って田に挿し、ゆ種を蒔いて神様に豊作をお祈りいたします。
  そのような神様のように恐れ多く、近づきがたい身分違いのあなた様に
  恋をしてしまって- - 、毎日々々焦がれ続けています )

「ゆ種」とは「神が宿る神聖な種籾」という意味です。
田に青柳を挿す風習は現在でも続けられており、ウツギの枝、
地竹の細いものなども用いられているようです。

「 言(こと)出しは 誰が言なるか 小山田(おやまだ)の
    苗代水の 中淀にして 」  巻4-776 紀郎女


( 先に言い寄ったのは何処のどなただったかしら。
  山田の苗代の水が中で淀んでいるようにちっとも通って来もしないで)

作者は天智天皇の血を引く安貴王(あきのおおきみ)の妻。
歌を送られた大伴家持は10歳年下で、紀郎女を若い頃からとても
慕っていたようです。
お互いに気兼ねのいらない間柄で、このような恋の遊びのような歌を
やり取りしています。


田は居住地に近くにあるものを「門田」「垣内田(かきつた)」といい、
人里離れたところの田を「山田」といいました。

人々は田植に先立ち田の神を迎えて豊作を祈願する儀式を行います。

早乙女(田植する女性)が巫女になり、屋根の上に菖蒲や蓬を葺(ふ)いて
邪気を払い、家の中には香り高い草を積んでその上に座り、
一夜お籠りをして身を清めました。

やがて夜が明けると、乙女たちは早々と紺の着物に紺の手甲脚絆、菅笠に
赤たすきという出で立ちで田植に向かったのです。

「 早乙女に 早苗さみどり やさしけれ 」 
               池内 友次郎

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by uqrx74fd | 2009-03-08 11:26 | 生活

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