万葉集その百(雪月花)

「雪月花の時 最も友を思ふ」

これは川端康成がノーベル文学賞受賞記念講演「美しい日本の私」で
引用された白楽天の詩の一行です。

四季折々の美にめぐりあう幸を得た時には、親しい友が切に思われ、
この歓びを共にしたいと願う。つまり美の感動がなつかしい思いやりを
強く誘い出すのだと川端さんは説いています。

「 琴詩酒ノ友 皆 我を抛(ナゲウ)チ
  雪月花の時 最も君を憶(オモ)フ 」  白楽天


( 琴や詩や酒を楽しんだ友はみな分散して消息も聞かなくなってしまった。
 雪の朝、月の夜、花のときになると君のことが思い出されてならない)

川端さんはこの原詩の語句と意味の一部変えて引用されました。
文芸上「雪月花」という言葉が使われたのはこの詩が最初とされています。
しかしながら、わが大伴家持は白楽天がまだ生まれる前に
雪と月と花を組み合わせた歌を詠んでいるのです。

「 雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
        折りて贈らむ はしき子もがも 」 
             巻18-4134 大伴家持


(雪の上に照り映えている月の美しいこんな夜に梅の花を
 手折って贈ってやれる可愛い娘でもいればなぁ )  
               はしき:「愛し」き

雪の白、これを照らす月光、さらに白梅とすべて
白一色の美につつまれた庭を眺めながら美しい女性を
心に思い描いており、まさに幻想の世界です。

白楽天の雪月花は四季の季節、季節の美しい時を指していますが、
家持は眼前の一時の光景を詠い、花は共に梅です。

花が櫻とされるようになったのは平安時代になってからのことです。

「 道元の四季の歌も本来の面目と題されておりますが
     四季の美を歌ひながら実は強く禅に通じたものでせう」 

    ( 川端康成 美しい日本の私の結び)


 「 春は花 夏ほととぎす 秋は月 
     冬雪さえて すずしかりけり 」   道元


この「本来の面目」とは「生まれる前から自分の中に埋み込まれている
純粋の人間性 (松原泰道) をいうそうです。

「冬雪さえてすずしかりけり」は「自分の心がすがすがしい」という意味で
春も夏も秋、冬もすがすがしい。
一切が大自然の心によって移り変わっていく。
そこには人間の固定した分別心、好き嫌いでものを判断してはならない。
融通無碍の心が大切だといったところでしょうか。

白楽天は時節々々の美しさと親しかった友への思いを、
家持は眼前の幻想的な光景を、道元は哲学の奥深い真理を
それぞれ詠いながらも、雪月花に美を見出したその心は
同じであるといえましょう。

 「月の夜、雪の朝(あした)、花のもとにても
  心 長閑(のどか)に 物語して 盃(さかずき)出(いだ)したる
  よろずの興を添ふるわざなり
  つれづれなる日、思ひのほかに友の入り来て
  とり行ひたるも 心慰む」        
        (吉田兼好 徒然草175段より)


     「とり行ひたる」: 一杯やるのも   
[PR]

by uqrx74fd | 2009-03-08 11:19 | 自然

<< 万葉集その百一(名を立てる)    万葉集その九十九(鷲と鷹) >>