万葉集その九十八(綿の衣)

「わた」は我が国固有の蚕の繭から作る絹綿(真綿)と外来の棉花から
採った綿があります。

「 しらぬい 筑紫の綿は 身に付けて
    いまだ着ねど 暖けく見ゆ 」  
         巻3-336 沙彌満誓(さみ まんぜい)


( 筑紫産の綿はまだ肌身に着けてきたことはありませんが、
  いかにも暖かそうで見事なものです )

この歌は宴席でのもので皆が奈良の都への望郷の思いを詠っている時に
作者は「筑紫も捨てたものではないですよ」と言ったのです。

「筑紫の綿」は女性の肌を暗示しており、既に筑紫の女性に
子を産ませていたらしい作者が「まだ着たことがないと」白々しく詠ったところ、
皆はどっと笑った事でしょう。

古代の綿は殆ど真綿とされていますが九州は早くから大陸文化が
もたらされており朝鮮半島経由で到来した綿花が栽培されていた
のではないかという説もあります。

「 富人(とみひと)の家の子どもの 着る身なみ
   腐(くた)し捨つらむ 絹綿らはも 」 
             巻5-900 山上憶良


( 金持ちの子供は有り余るほどの着物を持っていて、
  持ち腐れにしては捨てている。
  それもなんと綿入りの絹物ですぞ )

ここでの絹綿は真綿入りの絹衣と思われます。

庶民階級の子供は真冬でも麻の着物の着たきり雀で
体を寄せ合って凍えながら寝ている様子が伝えられています。
現在、「格差社会」と声高に言われていますが、1300年前、
今よりもはるかに深刻な格差社会が生じていたのです。

公式の文献では799年崑崙人(こんろん人:インド人らしい)が
三河の国に漂着し綿種をもたらしたとあります。
しかし気象条件の違いや害虫の影響でやがて絶滅したらしく、
綿と題した次の歌にその様子が見えています。

「 敷島の やまとにあらぬ 唐人の
       植ゑてし綿の 種は絶えにき 」
       衣笠内大臣家長(1193-1264)


綿の再栽培は文禄の役(1592~1598)のおり朝鮮から綿種を
持ち帰ったのちで室町末期以降盛んになりました。

  「 菜園に 我妻見たり 綿帽子 」 石井露月
[PR]

by uqrx74fd | 2009-03-08 11:17 | 生活

<< 万葉集その九十九(鷲と鷹)    万葉集その九十七(初音) >>