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万葉集その七十九(蜻蛉:秋津)

「蜻蛉」「秋津」は「あきづ」と読み、共に「とんぼ」の古名です。
その語源は「秋に多くいづる」が略されたものといわれています。
古代、蜻蛉は実りをもたらす田の聖霊と考えられ、収穫前に
群れ飛ぶのは「豊作のしるし」とされていました。

 「 あきつ羽(は)の 袖振る 妹を  玉櫛笥(たまくしげ) 
    奥に思ふを 見たまへ 我(あ)が君 」  
             巻376 湯原王


( 我が君よ、 向こうに蜻蛉の翅のような薄い衣の袖を翻しながら
  舞っている美女がおりますでしょう。
  実はあの舞姫は私のとっておきの想い者なのですよ。
  よぉーく ご覧になって舞を楽しんで下さい )

あきつ羽 :蜻蛉の透き通る翅、 領巾(ひれ:スカーフ)、
       羅(ら:薄く織った絹の布) に形容される
玉櫛笥:  女性の化粧箱、奥に掛かる枕詞。

この歌は宴席での即興歌で、深窓の美女を主賓のために
特別に舞わせて歓待の意を表わしたものです。

 古くからわが国のことを「秋津島」といいます。
もともと大和の一地方を表わし、やがて日本全体をいう言葉になりました。

日本書紀によると神武天皇が国見をして
「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」と
言われたところから「アキズシマ」の名が起こったと伝えられています。

「臀呫」とは「とんぼ」の雄雌が尾をくわえ合い、
輪を作って交尾をする様子をいいます。

山々に囲まれた美しい国の地形と豊饒をもたらす蜻蛉を重ねて
イメージされたものと思われますが、古代の天皇も面白い表現をされたものです。

蜻蛉(あきづ)は平安時代になると「あきつ」と清音になり、
さらに「とんぼ」「とんぼう」として歌に詠まれるようになったのは
ずっと後代の俳諧時代(室町)からといわれています。

 「 竹竿のさきに 夕日の 蜻蛉(とんぼ)かな 」 

                   正岡子規

by uqrx74fd | 2009-03-08 10:58 | 動物

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