万葉集その六十一(時の記念日)

671年、我国最初の公式時刻を告げる太鼓の音が
都中に響き渡りました。

天智天皇が漏刻(ろうこく)という水時計を設置して、
役人の時間管理を徹底されたのです。

日本書紀によると4月25日のことで今の暦では
6月10日にあたることから大正9年、この日が「時の記念日」
と定められました。

時刻を司る役所は陰陽寮といい、二人の漏刻博士が二十人の
時守を率いて二十四時間体制で水時計の管理をしていたそうです。

当時は一日を十二等分して一単位を時とし(今の二時間)、
さらに時を四等分して刻と呼び、時間の経過と共にそれぞれ
定められた数の太鼓や鐘を打ち鳴らしたのです。

「 時守が 打ち鳴(な)す鼓(つづみ) 数(よ)みみれば
        時にはなりぬ 逢はなくもあやし 」 
                  巻11の2641 (作者未詳)


( 時守が打ち鳴らす太鼓の音を数えてみると、あの方が見えるという
  時間がとっくに過ぎてしまっています。
  もうあの方はいらっしゃらないのでしょうか。
  おかしいですね。一体どうなさったのでしょう )

当時はお寺でも「時香盤」という用具を用いて香の燃え具合で
時刻を測り、役所とは 異なる音色の鐘を撞いていました。

「 皆人(みなひと)は 寝よとの鐘を打つなれど
    君おし思へば 寝(い)ねかてぬかも 」 
                   巻4の607 笠郎女 


( もう亥の刻(午後十時)。
 「お休みの時間ですよ」と鐘の打つ音が聞こえます。
 でも、あなたのことを想うと眠ろうにも益々目が冴えてとても眠れませんわ)

それにしても二十四時中、三十分ごとに太鼓や鐘の音が鳴り響き、
さらに寺の鐘まで加わるのですから、都の人達はさぞかし大変だったことでしょう。

まして「大伴家持との恋に悩む笠郎女は」と人ごとながらも同情いたしたくなります。

  「 時の記念日 知らずに咲いて 時計草 」 轡田 進

註:「漏刻」
     階段状の箱の最上段に水を貯め、その箱の小穴から序々に
     下の箱に水を漏らして最後の箱の水が一定の量に到達した時、
     目盛りが持ち上がって時刻を知らせる仕組み
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:40 | 生活

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