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万葉集その五十八(鵜飼)

鵜飼といえば 「篝火が闇の川面を赤々と照らし、その火影に立って
風折れ烏帽子に腰蓑をつけた鵜匠、手縄さばきも鮮やかに
12羽の鵜を遣いこなして鮎をとる」 幽玄そのものの夏の風物詩です。

 今や長良川などの数川のみしか見られない観光ショウとなってしまいましたが
古くは北は雫石(岩手)角館(秋田)から南は人吉(熊本)まで全国至るところで
行われていた生業のためのごく普通の漁法でした。

また律令時代から皇室の保護厚く、鵜飼人が宮廷直属の官吏として
漁をしていたという記録もあり、現在も長良川鵜飼は御料鵜飼とされ、
宮内庁は鵜匠に式部職という身分を与えて伝統文化を守り続けています。

万葉時代の貴族たちは鵜飼をスポーツとして楽しみました。

大伴家持は長歌(巻19の4156)で

「水が山の下を響かせて落ち、激しく流れる川の瀬に鮎が飛び跳ね、
走るばかりに泳いでいる。
さぁ、我々も鵜匠を伴い篝火を立てて水を分けていこう」 と
その様子を生き生きと伝えています。

「年のはに 鮎し走らば 辟田川(さきたがわ)
    鵜八つ(やつ)潜(かづ)けて 川瀬尋ねむ 」 
                 巻19の4158 大伴家持


八つ:数が多いこと 辟田川:高岡市の川なるも所在不明

( 今年も鵜飼の季節が近づいてきたなぁ。
 鮎が飛び跳ねるようになったらこの辟田川に
 鵜をたくさん潜らせて川瀬を辿っていこう。楽しみだね )

「 婦負川(めひがわ)の 早き瀬ごとに 篝(かがり)さし 
     八十伴(やそとも)の男(を)は 鵜川(うかは)立ちけり 」
              巻17の4023 大伴家持


婦負川:富山県神通川の下流とされている   
八十伴:多くの官人たち
鵜川立つ:鵜飼をするという慣用句

(婦負川の早い瀬ごとに 篝火をさしかざして大勢の役人達が
 鵜飼を楽しんでいますよ)

このスポーツとしての鵜飼とはどのようなものか?
可児弘明氏(慶応大学名誉教授)は次のように解説されています。

「流れの速い川瀬に直接入り、上流に進みながら鮎を狩るのが
スポーツの鵜飼であった。

舟を使わず徒歩(かち)で行うところからこれを徒歩鵜飼とよんでいる。
夜を徹して水に浸かりながら重い松明を背負い魚籠(びく)を腰に下げ
片手に篝火を持ち片手で鵜をさばくのであるから重労働の部類に入る。
また本職の鵜使いも連れていった」    
                    (中公新書 鵜飼より)

江戸時代、芭蕉は長良川の鵜飼を見物し宴のあとの有名な
一句を残しました。

「鵜舟と共に篝火は次第に遠くへ過ぎ去ってゆき、
あとは流れる川音と吹き渡る風の音が残るばかり」という情景です。

「 おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな 」 芭蕉

by uqrx74fd | 2009-03-08 10:37 | 動物

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