万葉集その五十三(国のはたてに)

万葉集には珠玉のような美しい言葉が数多く見出されます。

豊旗雲(とよはたぐも)、海神(わたつみ)、夕波千鳥、玉かづら、
夕星(ゆふづつ)、草深百合、梓弓、たまゆら、空蝉(うつせみ)、
常乙女(とこおとめ) - - -

古代の大和言葉のもつその美しい響きや意味合いは時代を超えて
綿々と受け継がれて現代に至っており「はたてに」もその言葉の一つです。

国のはたて(隅々) 雲のはたて(果て)などに用いられます。

まずは万葉時代の櫻を讃える歌(長歌)です。

「娘子(おとめ)らが 頭挿(かざし)のために 
 風流士(みやびを)の 縵(かづら)のためと
 敷きませる 国のはたてに 咲きにける 
 櫻の花の にほひはもあなに」
              巻8の1429  若宮 年魚麻呂(わかみやの あゆまろ)


(敷きませる):天皇が統治しておられる
(にほひ はも あなに):今を盛りにと開花した花の
               隆盛の極みを詠嘆した言葉

(天皇が統治なさるこの国の隅々まで輝くばかりに咲いた花の
 何と美しいことでしょう。
 その桜の花は乙女たちの頭挿や風流男の縵のために咲いたのですよ)

この歌は若宮年魚麻呂 (わかのみやの あゆまろ:伝不詳)が
宴席で唱吟したもので国の隅々まで咲く桜を愛でると共に
国の繁栄を寿ぐ国土賛歌でもあります。

また古代において植物の枝葉や花を頭挿や縵にして身につけることは
その植物の生命を我が身に振り付け、生気を与えられるものと
信じられていました。

その名残は日本髪のかんざしの花飾りとして今なお受け継がれております。

万葉集での「国のはたてに」は古今和歌集で「雲のはたてに」と詠われます。

 「夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思う
    天つ空なる 人を恋ふとて」    
              古今和歌集484 読み人知らず


(夕暮れになると雲の果ての方を眺めていつも物思いに耽っています。
 私を上の空にさせるあの人。
 それにつけても、このやるせない無い気持ちよ。)

そこはかと甘美な思いに誘われる夕暮れ時。

雲の果てに向かって恋しい人の面影を追う。
何らかの事情で会うことが出来ないその人を想えば想うほど
恋しさが募り遥か彼方遠くにいる人、「天の空なる人」のように
思えてくる。 どうしょうもない女心のやるせなさ。

「雲のはたてに」「天つ空なる人」の言葉が無限の空間、
距離そして心の広がりを感じさせてくれる秀歌です。

近代では窪田空穂(くぼたうつぼ)が「山」を詠います。

「雲海の はたてに浮かぶ 焼岳の 
    細き煙(けぶり)を 空にしあぐる」


「 北アルプスの烏帽子岳(えぼしだけ)から槍ヶ岳へ
  縦走したときの一首
  槍ヶ岳の西の鎌屋根から展望した明け方の風景である。
  広大な雲海の遥かなる果てにひとすじの細かい噴煙をあげる
  焼岳の孤独な姿はしんと静まりかえった荘厳なイメージを想起させる。
  息を呑んで凝視する作者も目に浮かぶ 」
                   (名歌名句辞典 島田修三解説 より)
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:32 | 自然

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