万葉集その五十一(早蕨:さわらび)

「早蕨の にぎりこぶしを振り上げて
       山の横つら春風ぞ吹く」   
         (四方赤良:江戸時代の狂歌師)


ワラビはウラボシ科の多年草で平地の原野から海抜2,000m前後の
高山まで広く分布し北は北海道から南は九州まで及んでいます。

早春に拳(こぶし)状に巻いた新芽を出します。

上の狂歌は萌え出たばかりの蕨が春風に吹かれていて
その様子が握り拳を振り上げて山の横っ面を引っぱたいて
いるようだと見立てています。(横つら張ると春を掛けている)

ワラビは栄養価が極めて高く煮物や漬物にしたり又その根茎から取った
澱粉は糊やわらび餅の原料として古代から重用されてきました。

天智天皇の第七皇子である志貴(しきの)皇子は
春到来の歓びを生き生きと詠います。

「 石(いわ)走る 垂水の上の さわらびの
     萌え出づる 春になりにけるかも」 
                   巻8の1418


( しぶきをあげながら岩の上を流れる水がキラキラ光っている。
  水音も清々しい滝のほとりに ほら、早蕨が芽を出しているよ。
  あぁもう春だ。待ちに待った春がとうとうやってきたねぇ)

「歌は心の音楽」これは犬養孝さんの言葉です。
以下、犬養節名解説の一部です。

「 今日、一般に和歌を黙読することに馴れているようだが
  歌は声をあげてうたわれるべきもの。
  この歌も声を出してうたってみれば何と豊かな律動感に
  あふれている事であろうか。
 <垂水の上のさわらびの>と<の>の音を重ねてゆく呼吸は
  ぎくしゃくとしないでとけて流れてよどみない流動感にあふれている。

 その上<萌え出づる・春に・なりに・けるかも>は意味の内容から言えば
 単純なことを律動感あふれて四節にひきのばし、
 あたかも駘蕩の陶酔を思わせるようである。

  作者の志貴皇子は1260余年前に世を去ってしまっているが、
  彼が残した心の音楽はよどみない心のうねりに乗って
  千年の響きにかえって止まないようである」
                ( 犬養孝著 万葉十二ヶ月 新潮文庫より)

「早蕨」で思い出される歌といえばやはり「源氏物語」の早蕨の巻

源氏の君はすでに世を去り息子薫は二十五歳。
薫と共に仏道を学んだ「八の宮」とその娘「姉の大君」の二人に先立たれ、
ひとり淋しく宇治の山荘に残された「中の君」は気持ちが晴れず、
沈みこんで鬱々としています。
そこへ山の阿闍梨(あじゃり:父の友人で有徳の高僧)が
蕨や土筆を風流な籠に入れて贈ってくれたので中姫君は歌を返します。

 「 この春は たれにか見せむ 亡き人の
    かたみに摘める 峰の早蕨 」


「かたみ」は形見と筐(かたみ:竹篭)を掛ける

(亡き父君の形見と思って摘んで下すった山の蕨も
 姉君までお亡くなりなされた今年の春は誰に見て戴いたら
 よいのでせうか。 谷崎潤一郎訳)

この歌によりこの巻は「早蕨」と名付けられました。
また源氏絵の一つとしてよく描かれる場面です。

源氏物語五十四帳の表題の中に万葉集に出てくる言葉が多く使われています。

(早蕨、空蝉、朝顔 花散里、乙女、玉蔓、行幸、藤袴、若菜、雲隠、等)
また物語の中で万葉集の伝説を下敷きとした場面(浮舟)もあり、紫式部も万葉集から
色々な着想を得ていたようです。

また同時代の「枕草子」の作者、清少納言の父、清原元輔は高名な歌学者で
村上天皇の勅命により万葉集の訓読を手掛けた五人のメンバーの一人です。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:30 | 植物

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