万葉集その五十(桃李)

 「 桃李云わざれども 
      下(した)自(おの)ずから 蹊(みち)を成す」(史記)


この言葉は
「桃や李(スモモ)は何も言わなくても、その美しい花や美味しい実にひかれて
多くの人が集まり、木の下には自然に小道が出来る。
立派な人格者の周りには自分は招かなくても自然と人が慕い寄ってくることの例え」
とされています。

中国では早くから「桃李」は熟字として使われ美人の形容に「容華桃李の如し」
(芸文類聚)とも用いられました。

日本では日本書紀に616年「春正月に桃李実(みな)れり」
626年「春正月に桃李咲けり」と出てまいります。

万葉時代、宮廷貴族にとって漢詩は必須の教養で唐詩選なども
競って読まれ751年には我が国最初の漢詩集「懐風藻」が編まれます。

越中にあった大伴家持も父旅人の薫陶よろしきを得、深く漢詩を学び
750年着想をえて「桃李」二首の歌を詠いました。

所謂越中名吟の始まりです。

「 春の苑(その) 紅にほふ 桃の花
     下照る道に 出(い)で立つ 少女(おとめ) 」 
                巻19の4139

「 わが園の 李(すもも)の花が 庭に降る
     はだれのいまだ 残りたるかも」 
              巻19の4140


  はだれ:斑雪(まだらゆき)

( 春の盛りの今、庭園には桃の花が咲き誇っています。
  花もまわりも光に映えて紅色に染まるばかり。
  木の下へ つと出てきた娘子もまた全身を紅色に染め
 輝くばかりの美しさです。あぁ何と素晴らしい景色だろう ) 

( あれっこちらの庭園の上に白いものが見えるよ。
 あれは李の花が散っているのだろうか 
 それとも消え残った雪だろうか。
 空を見上げると李が満開でまるで雪のようだね)

この歌は華麗なる桃の花の「紅」 純白な李の「白」の「紅白」を
取り合わせ、さらに父、大伴旅人の名歌

「わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」
を踏まえた構成となっており
「まさに美の最高の一つのピークに登りえたと思う (犬養孝)」とまで
賞賛されています。

特に紅の桃と美少女の取合せは正倉院の「樹下美人図」を連想させ
正に幻想の世界です。

さらにこの二首は唐詩選にある劉庭芝(りゅうていし)の「代悲白頭翁」という詩との
関連をも指摘されております。(北陸学院短大 梶井名誉教授) 

「 洛陽城東 桃李の花 飛びきたり飛び去って誰が家に落つ  
  洛陽の女児顔色好し 行く落花に逢(お)うて 長嘆息す 」


この詩はさらにかの有名な

「年々歳々 花相似たり 歳々年々人同じからず」
という成句に続いていき 多くの万葉人に愛唱されたものと思われます。

さて、このような夢のような光景は果たして実在したのでしょうか?

伊藤博、大岡信の両氏は
家持のこの二首は上記のような中国漢詩の詩的感興に裏打ちされていること
及びそのあまりにも美しい情景ではあるが北の国、越中では桃と李が同時に
咲くことはまずありえないなどのことから、この桃李は家持の幻想の世界に
咲いた花で桃の下に立ち出でた美少女も想像上の佳人ではないかと
されています。

多くの万葉人は心の思いのたけを素直に詠いました。
家持は別の次元、つまり創作、文学への道を開拓しつつあったと言えるのです。

この二首を出発点とした越中名吟は爾後、家持の創作意欲をさらにかきたて、
遂に生涯の最高峰とも言うべき作品群の高みへ登り古今和歌集へと
バトンタッチされていきます。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:29 | 植物

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