万葉集その四十六(つらつら椿から椿姫へ)

「椿」はツバキ科の常緑高木で葉が厚く、つややかなので「艶葉(つやば)の木」が
転訛して「つばき」になった、或いは連なって咲くところから「つらつら椿」とよばれ
「つらつら」が詰まって「つらき」から「つばき」になったとも云われています。

「椿」の字は春に咲く木を意味する国訓で中国では「山茶」と書き中国で使われる
「椿」は日本とは別種の木です。

日本原産である椿の原種は四種あり全国に広く分布する「ヤブツバキ」
積雪地帯に咲く「ユキツバキ」、九州に自生する秋咲きの「サザンカ」、
ほのかな香りをもつ沖縄の「ヒメサザンカ」です。

「 川の上(べ)の つらつら椿 つらつらに
       見れども飽かず 巨勢(こせ)の春野は 」 
            巻1の56 春日老(かすがのおゆ)


   巨勢;奈良県御所市古瀬

( わぁ-椿がきれい! 川のほとりにまるで帯のように赤い花が並んでいる。
 いつまで見ていても飽きないなぁ。本当に巨勢の春の眺めは素晴らしいよ )

古代から椿は聖樹であると伝えられ、古事記に「斉(ゆ)つ真椿(まつばき)=神聖な椿」の
語が見えます。
この歌謡は雄略天皇が新嘗祭の酒宴をされたときに皇后が歌われた歌詞の一部とされています。

日本民族学を創始した柳田国男氏によれば「椿」が北海道以外の全国各地に見られるのは
信仰を広める人々が長い間、椿を聖なる木として携え歩き廻った結果だとのことです。

また椿の木から農具やお椀等が作られ、その種子は椿油に、椿炭は漆工芸の研磨用に
椿灰は草木染めの媒染剤として日常生活に欠くことが出来ない有用の花木であることも
全国に広がった理由の一つと考えられています。

然しながら万葉時代に崇められた椿は平安貴族の好みに合わなかったのか古今和歌集
新古今和歌集には全く登場しません。

椿が再び姿を現すのは鎌倉末期から室町、桃山時代にかけてです。

武家社会や貴族社会の生活様式が確立され住居も武家造りや寝殿造りが一般的になり
連歌や生け花、茶の湯が盛んになるにつれ椿の寂びた奥深い姿が見直されたのです。

豊臣秀吉は伏見城に多数の椿を植えました。茶室に好まれる「侘助(わびすけ)」は
秀吉の朝鮮侵攻の際、侘助という男が持ち帰ったのでその名があり「トウツバキ」系と
みられています。

徳川時代になると二代将軍秀忠が我国椿の普及に大きな役割を果たしました。

椿を好んだ秀忠は江戸城に国中の椿を集めた結果、多彩な品種が生まれ、また
庶民も盛んに栽培をするようになりました。さらに元禄時代(1688~1702)には
空前の椿ブームになり内外の商人達が競って長崎から西欧へ名花の苗や種を輸出します。

椿の西欧での最初の開花はイングランドの南部の温室だそうです。
アメリカにはヨーロッパから渡り、リンカーン大統領在任中(1860~1865)には日本から
直接苗木が送られたと言われています。

西欧の椿ブームの様子を栗田勇さんは次のように生き生きと描写されています。(要約)

「19世紀後半、欧州にこれまた絢爛豪華な大輪の椿ブームを引き起こしました。
その象徴とも云うべきものがフランスのデュマ・フイス(小デュマ)の小説「椿姫」です。
1848年に小説として発表され、翌年戯曲に改作され1952年初演の芝居は大当たりを
取りました。

濃艶な高級娼婦が初めて純粋な恋をするが愛する青年のため身を引き犠牲と成り果てる。
義理と人情の板挟み、それも絢爛たる趣はまるで歌舞伎の舞台のようです。
その芝居を見て感動したイタリアの作曲家ヴェルディは「ラ・トラヴィアータ」 と
題したオペラを作りこれも大当たりとなりました」
                    (花を旅する 岩波文庫)より

注1:「ラ・トラヴィアータ」は「道に外れた女」の意
注2:オペラの初演は歌手のミスキャストにより大失敗。再演で好評を得た

 かくして古代日本の原産「つらつら椿」は品種改良を重ねて今や世界各国で
七~八千種類もの花木が栽培されています。
そして、プラシド・ドミンゴやマリア・カラス達が声高に歌う「乾杯の歌」や
「ああ そは 彼(か)の人か」「さよなら 過ぎ去った日よ」などの美しい歌曲と共に
世界中の人々から愛され続けているのです。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:26 | 植物

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