万葉集その四十一(バックギャモン)

シルクロードの面影を残すサマルカンド。
この地域は古くはソグデイアナと言いソグド人と呼ばれる人たちが住んでいました。
彼らはタクラマカン砂漠、天山山脈、パミール高原という厳しい道を辿り
4,000㎞も離れた唐にササン朝ペルシャの文物を運んで商売に励んでいました。

そして「匂ふがごとき今盛りなり」と詠われた天平時代の頃、これらの文物は
唐を経由して海を渡り奈良の都へ入ってきたのです。
奈良朝の人達はソグド人からもたらされたバックギャモンをすぐろく(双六)と
呼んでいました。

古代の双六は将棋や囲碁に似た盤上で二個のダイスを用いて
白黒十五の駒を敵陣に早く送り込んだ方が勝ちというゲームです。

「 一二(いちに)の目 のみにはあらず 五六三(ごろくさむ) 
       四(し)さえありけり 双六(すぐろく)の頭(さえ) 」

           長意吉麻呂(ながのおきまろ)  巻16の3827


この歌は意吉麻呂が宴席でまわりの人達から目の前にあるサイコロを
歌に詠めと囃されて作った即興歌です。

「サイコロの目は人間の目と違って一から六まであるぞ」と詠んだものですが

一二の後に何故三四五六と詠まないで順序を逆にしたのか未だに定説を得ません。

三四は赤目となっておりこれを強調するため(伊藤博)など色々な説がありますが

三重大学の広岡義隆教授が以下のようなユニークかつ楽しいお話をされておられます。

まずは歌の意訳です。
( 人間には一二と二つの眼があるがサイコロはそれだけではなく五六三とあり
 四(死)まであるよ。 こんな小さな双六のサイコロに。)

< 六面に彫られている目の数を詠んだだけではなく掛詞によって「死」まであるよと
驚いているのです。
あるいはゲーム上でも死(一回休み等の罰ゲーム)があったのかもしれません。
さらに第二句「のみにはあらず」の「ず」と第三句「五六三」の「五六」に
すごろく(ず五六)と題を詠みこんでいます。
歌学では隠題(かくしだい)と呼ぶ題を与えて歌に詠みこませる技法が万葉時代に
あったのです。
さらに この「すごろく」が詠みこまれていることを指摘したのは三重大学の女子大生で
これは大発見でした。>    

                     「万葉のこみち」より要約抜粋

この解釈ならば一二と続き五六三と順序を逆転させたのも必然だったと納得できます。

聖武天皇も双六を好み自らもダイスを振りました。

さらに曲水の宴(邸内の小川に酒盃を浮かべ詩歌が出来ると盃を取り上げて
飲む遊び)の席上、「歌を作らない者は別席で双六をおやりなさい」と
賭金銭三千貫を下賜されたという記録が残っています。

銭三千貫とは現在の金額にすると二億円以上になり、唖然とするばかりです。

バックギャモンのルールは易しく面白い上、二人で短時間でやれるので、
上は貴族から下は庶民まで爆発的な人気を呼びました。

中には借金してまで打ち込み、遂には土地、建物、妻さえも賭け、挙句の果てに
殺人、自殺、一家離散に枚挙暇なしの一大社会問題になり、とうとう689年朝廷は
双六禁止令を出します。

然しながらブームは収まらず再び754年厳罰を科す禁止令を出し、ようやく熱が冷め、
騒ぎがおさまったのです。

その後このゲームが復活するのは明治時代に再度海外から伝わってからになります。
奈良、正倉院には聖武天皇愛用の象牙製のダイス、琥珀や水晶で作られた碁石形の駒、
紫檀製木象眼や螺鈿の双六盤が残されており正倉院展で往時を偲ばせてくれています。

これらの宝物を拝観するたびに天皇が「エイヤァ-」とサイコロを振っている姿が
目に浮かび笑いがこみ上げてまいります。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:20 | 生活

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