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万葉集その三十八(弓絃葉:ゆづるは=ゆずりは)

明治末期、口語自由詩を提唱した河井酔茗(かわいすいめい)は

「ゆずりは」と題する美しい詩をつくりました。

  こどもたちよ、これはゆずりはの木です。
  このゆずりはは 新しい葉ができると
  入れ代わって 古い葉が落ちてしまうのです。

  こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも
  新しい葉ができると無造作に落ちる、
  新しい葉に 命を譲って― 。

  こどもたちよ、
  おまえたちは何を欲しがらないでも
  すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
  太陽のまわるかぎり 譲られるものは絶えません。

  世のおとうさん おかあさんたちは
  何一つ持っていかない。
  みんなおまえたちに譲っていくために、
  いのちあるもの よいもの 美しいものを
  一生懸命造っています。 

              (花鎮抄より部分抜粋)


「ゆずりは」は古代「弓絃葉(ゆづるは)」とよばれトウダイグサ科の常緑高木です。

春に出た新葉が成長すると前の葉がいっせいに落ち、新旧交代の特色が際立つので
「代を譲る」意で「譲葉(ゆずりは)」の名が付きました。

その名の由来から子孫永続の願いを込めて大晦日には生け花に用いられ、
またお正月のしめ飾りや鏡餅に添え、縁起物として使われています。

「いにしえに 恋ふる鳥かも 弓絃葉の
             御井(みい)の上より 鳴き渡りゆく」 
                       弓削皇子(ゆげのみこ) 巻2の111


「御井」は 聖なる泉

この歌は678年持統天皇が吉野に行幸された時、お伴した弓削皇子
(天武天皇第6皇子当時24歳)が都にいる額田王(当時63~64歳)に贈った歌です。

調べ美しく、格調が高い名歌とされています。

額田王は若くして天武天皇と結ばれ、十市皇女をもうけた後、
兄の天智天皇の寵愛をも受けた華々しいラブ・ロマンスの持ち主でありました。

一方、弓削皇子は持統天皇が自分の血筋(天武―草壁皇子―文武)に執着し、
他の諸皇子には厳しくあたる治世下にあって人一倍不安と哀愁を感じて
生きなければならない運命でした。

吉野にお伴した彼は天武天皇が在世中額田王と共に訪れ、しばしば遊宴を催した当時を
懐かしみ、また歌に弓絃葉を詠みこむことにより
時代の移り変わり、新旧交代する自然のあり方に感慨を示したものと思われます。

従ってこの歌の「いにしえ」とは皇子の父である天武天皇と若き額田王との
恋愛関係を指しています。

( 昔を恋うる鳥でしょうか。
  弓絃葉が茂る泉の上を今、よい声で鳴き渡っていきましたよ)

額田王は孫のように甘える弓削皇子に対して温かく、いとおしむような歌を返します。

「 いにしへに 恋ふらむ鳥は ほととぎす
             けだしや鳴きし 我(あ)が思(も)へるごと」  
                            額田王 巻2の112


ホトトギスには昔をしのんで鳴くという中国の故事があります。

( 皇子がお聞きになった鳥の声は恐らくホトトギスだと思います。
  丁度昔をしのんでいた私、同じ気持ちでホトトギスも鳴いたのでしょう)

「 年ごとに ゆづりゆづりて 譲り葉の
            ゆづりしあとに また新しく 」   河井酔茗


皆様、良き新年をお迎え下さい。

by uqrx74fd | 2009-03-08 10:17 | 植物

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