万葉集その三十七(駅伝)

今年も駅伝の季節がやってきました。

駅伝のルーツは古く「大化の改新」にまで遡ります。

646年大化の改新の詔が公布され律令制度が発足しました。

律は刑法、令は行政法で律令を統治の基本にしようというわけです。

それ以前の氏族制社会では各郡がそれぞれ独自の経済システムや

法律で版図を支配していました。

このような政治の仕組みを中国の制度も参考にしながら

中央集権社会、即ちすべてを中央の秩序、価値観に

統一しようと試みたのです。

この制度を円滑に運営するためには、中央や地方の情報を

速やかに行き来させることが必須となります。

即ち古代情報化社会への移行です。
そこで、まず幅6~12mの7つの幹線道路を整備し、

関所を設けました。

更に幹線道路には16kmごとに駅(駅家=うまや)を置き、

馬を常時5~20匹用意して官用に供し(駅馬)、宿泊、給食、

給水設備も完備しました。

又これとは別に伝馬という逓送用の馬も各郡に置き公用の

役人に使わせたのです。

駅馬には鈴を付け(駅鈴)、官の通行証とサイレンの役割を果たし、

リィーン・リンと鈴を響かせながら馬を走らせていました。

次の歌は都の役人が早馬を走らせ、駅家で休息しょうとした時に

うら若く美しい乙女を見かけて声をかけたものです。

「 鈴が音(ね)の 
     早馬(はゆま)駅家(うまや)の 堤井(つつみい)の
     水を給(たま)へな 妹が直手(ただて)よ 」 

                   巻14の3439 作者未詳



「堤井」周りを堰で囲み湧き水などを溜めた水汲み場 

「直手」 手から直接に

( 鈴が響き渡る駅、その宿場で一休みしましょう。

 お嬢さん水を頂けませんか?いえいえコップなんか結構です。
 貴女の綺麗な手に水を汲んでそのまま飲ませて頂戴ね。)

この駅家制度は戦国時代から更に江戸時代へと引き継がれ幕府、

領主の公用に供し、民間の輸送にも用いられました。

それと共に手紙、金銭、小荷物をリレー式に運ぶ飛脚制度が考案され

足の速い韋駄天が日本全国を走り廻るるようにになります。

かくして駅馬、伝馬、飛脚からヒントを得て競技としての

駅伝競走が誕生し、1917年(大正6年)世界最初の駅伝が開催されました。

この大会名は「東海道五十三次駅伝徒歩競争」といい関西、関東2チームが

参加し、4月27日午前11時に京都三条大橋を出発、23区508kmを走り抜き、

翌々日の29日午前11時34分にようやく上野不忍池に到着しました。

今もなお、この競技のスタートの地、京都三条大橋とゴール上野不忍池界隈に

「駅伝発祥記念碑」が立っています。

更に3年後の1920年、長距離選手の育成を目的として「箱根駅伝」

(正式名 東京箱根間往復大学駅伝競走) が誕生しました。

82回目を迎えるこの行事は毎年テレビでも放映され、

新年に彩りを添えてくれています。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 10:16 | 生活

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