2009年 03月 08日
万葉集その三十(薔薇:そうび=うまら)
化石のものとされています。
日本では兵庫県明石の遺跡で「アカサンショウバラ」の
化石が発見されており、100万年以上前のものと推定されています。
紀元前3世紀、エジプトの女王クレオパトラは、こよなく薔薇を愛し、
薔薇の花を浮かべた風呂に入ったり、シーザやアントニウスを迎えるために
部屋中に膝の高さまで薔薇を敷きつめました。
薔薇の野生種すなわちワイルド・ローズは世界でおよそ200種類確認されて
いますが現代の薔薇を作出するのに必要だった基本的な祖先は10種で
すべてアジア産でした。
その10種のうち3種が日本の古来の薔薇もしくはその仲間
(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナス) 2種が中国、残りが小アジアで
ヨーロッパ産は一種もありません。
この10種の薔薇を人工的に組み合わせることで2万種にもおよぶ現在の薔薇を
作り出していったのです。
特に皇帝ナポレオン1世の后妃ジョセフイーヌはマルメゾン宮殿に植物園を作り
研究者が交配を重ね品種改良に多大な貢献をしました。
今日、薔薇が世界中で隆盛を極めているのは彼女の御蔭とまで言われています。
日本では「薔薇」に棘 茨 荊 薔薇の字を当てますが「薔薇」の字は918年
深根輔仁(ふかねすけひと)が著した「本草和名」が初出で薔薇すなわち「うまら」
であるとしています。
「 道の辺(へ)の うまらの末(うれ)に 延(は)ほ豆の
からまる君を 別(はか)れか行かむ 」
巻20の4352 丈部 鳥(はせつかべのとり)
当時九州筑紫の海岸線や対馬などに唐や新羅の侵入に備えて
防人(さきもり)が配置されていました。
この歌は上総の国(千葉南部一帯)の防人の歌です。
( 道端のうまらの枝先まで這う豆かずらのようにからまりつく
主君のいたいけない若君。そんな君を残して別れていかなければならないのか)
この防人は主君の若君の近習だったのでしょう。
この歌の解釈を「君」を恋人として
「行かないでとすがりつくあの女を残して、どうしても行かなければならないのか」
としたほうが情緒もありよろしいのですが「君」は男性や主君をさすのが
万葉の習いとされているので、いささか無理がありそうです。
この「うまら」が「そうび」と詠われるのは平安時代になってからで
「 我はけさ うひにぞ見つる花の色を
あだなるものと いふべかりけり 」
古今和歌集436 紀貫之
( 私が今朝初めて見たその花の色は、なまめかしいと言うべきでありました。)
その花とは何の花?
さうひ(薔薇)と上句に詠み込んだ遊び心。貫之らしい洒落た歌です。
その優雅なる「そうび」の呼び名は現在にまで受け継がれ、北原白秋も
次の歌を残しました。
「 かくまでも 心のこるは なにならむ
紅き薔薇(そうび)か 酒か そなたか 」
by uqrx74fd | 2009-03-08 10:09 | 植物