2009年 03月 08日
万葉集その二十六(壱師:いちし=彼岸花)
「エゴノキ」や「イタドリ」又は「草苺」説など諸説紛々でした。
現在では「彼岸花」とする牧野富太郎博士説が支持されています。
今なお「ヒガンバナ」を「イチヂバナ」と呼ぶ地方があるそうです。
「 道の辺(へ)の 壱師の花の いちしろく
人皆(ひとみな)知りぬ 我(あ)が 恋妻は 」
巻11の2480 柿本人麻呂歌集
「いちしろく」とは「著しくはっきり」という意味で
( 道のほとりの彼岸花はすぐ目に付きますが、私の恋しい妻のことも、
とうとう世間の人々に知られてしまいました。
恥ずかしいけれど嬉しい!しかし困ったなぁ)
真紅に燃えるように咲き、その上、火花を散らしたように
花びらを広げる彼岸花。
その花に自分の燃えるような恋心を重ね、激しく想い続けてきたので
とうとう世間の人に、ばれてしまったと嘆きながらも喜んでいる様子を
詠ったものです。
何故嘆くのか?「恋は人知れずに密やかに」というのが当時の人の
心構えでありました。
何故ならば、人の口に自分達の名前が乗るとその言葉に霊力が付き
自分達の魂が他人に移ってしまい、やがてお互いの恋は破綻すると信
じられていたのです。
純真な若人の姿を彷彿させる初々しい歌です。
時代は変わって昭和の初期。
中村草田男は雄大な彼岸花、別名曼珠沙華の句を残しました。
「 曼珠沙華 落暉(らっき)も蘂(しべ)を ひろげけり 」
仏典に記される曼珠沙華は一目みれば悪業を離れられる霊験あらたかな天の花。
その名をもらった彼岸花は、つんつん伸びる真っ赤な蘂が美しい花の冠を形つくる。
草田男の落暉とは夕日のこと。夕空に巨大な曼珠沙華が蘂を広げている。
長谷川 櫂 ( 四季のうた より)
つまり夕焼けを巨大な曼珠沙華に見立てたのです。すなわち「天の花」
注: 中村 草田男 (1901~1983) 俳人 高浜虚子に師事。
「 降る雪や 明治は遠くなりにけり 」の句は有名
by uqrx74fd | 2009-03-08 10:05 | 植物