2009年 03月 08日
万葉集その十六(鰻召しませ)
土用は土の気が強まる時で本来は春夏秋冬の四季それぞれの終盤
18日間を言います。
冬なら厳寒、夏なら猛暑が続き、春秋は季節の変わり目で
健康上用心が必要な時期とされていました。
丑というのがこれまた危ない。
方角で云うと東北にあたり丑寅といえば「鬼門」「丑三つ時」と言えば
お化けや幽霊がさまよう時間です。
災害や悪霊は全部鬼門から入ってくるといわれており,丑の日には
災害が起こる可能性が高いとされていました。
特に夏の土用は酷暑が続くと体力が消耗しやすく、
古代人にとってこの期間を無事に過ごすのは大変なことでした。
夏の土用をどのようにして乗り切るか?
丑の方角の守護神は玄武という黒い神様です。
そこで「黒いものを食べるという事におすがりしょう」となりました。
鰻、鯉、泥鰌、鮒、茄子、などを食べる習慣はこのようにして起こったのです。
今回は鰻にまつわる古代から近代までのお話です。
「 石麻呂(いわまろ)に我もの申す 夏痩せに
よしというものぞ 鰻(むなぎ)とり食(め)せ 」
巻16の3853 大伴家持
石麻呂は本名を吉田連老(むらじのおゆ)といい家持の親友で
痩せの大食い老人でした。
痩男に頑丈な男を連想させる石麻呂というニックネームをつけたところにも
この歌の面白みがあります。
( 石麻呂さんよ どうしてあんたはこんなにガリガリに痩せているの?
夏痩せには鰻がいいというから、鰻でも捕って食べなさいよ )
当時は鰻を丸ごと火にあぶって切り、酒や醤 (ひしお 現在の醤油の原型)で
味付けしたものに,山椒や味噌などを付けて食べていました。
現在のような蒲焼となるのは江戸時代の中期からであります。
時代は下って江戸時代。
俗説によると有名な蘭学者である平賀源内があまり流行らない鰻屋に
「お知恵拝借」と依頼され「今日は土用丑の日」と看板に大書して
店頭に掲げたところ,大評判になり江戸中に広まったと伝えられています。
それでは、お江戸のお笑を一席。( 小泉武夫著 食べ飲み養生訓 より)
『 鰻が買えない男が匂いだけでも効くのだと言って握り飯だけ
鰻屋の前に持っていき、蒲焼の匂いを嗅いで鰻を食ったつもりで
握り飯をがっついていました。
それを見つけた鰻屋が頭にきて「匂いの嗅ぎ代 30文いただこう」と
請求書を突きつける。
しかし役者が何枚も上のケチな男は堂々と小銭で30文、
ジヤラジャラと財布から取り出し、思い切り地面に叩きつけて
「鰻を食わせたつもりで金を取るなら金をもらったつもりで
銭の音を聞いて戻らっしゃい」
といって鰻屋を追い返したそうであります。』
さて近代の歌人齊藤茂吉は極め付きの鰻好きでありました。
彼は会食する時にすばやく他人の鰻と自分の鰻の大小を見比べて、
時には「取り替えてくれないか」と相手にねだる事もあったと
齊藤茂太さんなどが書いています。
「 ゆうぐれし 机の前に ひとり居(お)りて
鰻を食ふは 楽しかりけり 」
齊藤茂吉 (ともしび)より
by uqrx74fd | 2009-03-08 09:55 | 生活