万葉集その十(すまじきものは宮仕え)

つい最近、奈良正倉院に残る文書2通を鑑定した結果、
奈良時代の下級役人が同族の上役に「付け届け」をして
役職に就けてもらえるように頼んだ手紙であったことが
判明しました。

1通目は「軍隊の末席でもいいから官を望みます」と登用を依頼、
5日後の2通目では 「生イワシ60匹を貢ぎます」
そしてその手紙には不採用を示す「用不」と
大きく書かれていたそうです。

万葉集でも当時の宮仕えの様子を活き活きと伝えてくれています。

 「 天(あま)離(ざか)る 鄙(ひな)に五年(いつとせ) 

     住まひつつ

     都のてぶり 忘らえにけり 」 

            巻5の880 山上憶良


 (遠い田舎(九州)に5年も住み続けてきて都の洗練された
  風習(てぶり)をすっかり忘れてしまったよ。
  いつまで地方勤務をさせるのだろう。
  そろそろ本社に戻してくれないかな)

当時(725726年)国守の任期は4年と定められていました。
教養人である山上憶良は自分の気持ちを抑えてこの歌を詠みましたが
とうとう我慢が出来なくなり、上司の大伴旅人に直訴します。

 「我(あ)が主の 御霊(みたま)賜ひて 春さらば

   奈良の都に召上(めさ)げ たまわね」 

                巻5の882 山上憶良
 

(あなた様のお力で春になったら奈良の都に転勤させて下さい)

次は勤務時間中のサボタージュが見つかり厳罰を受けた男の歌

 「梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に

    遊びしことを 宮もとどろに」 

             巻6の949 作者未詳


 (梅や柳の美しい見頃が過ぎてしまうのが惜しさに佐保の里で
 楽しく遊んだだけなのに 何とまあ宮廷が轟くばかりに騒ぎたてて)

 727年初春、天皇の身辺警護を任務とする役人達が勤務時間中に
 春日野で打毬(うちまりー現在のホッケーのような球技)に興じていました。

 折りしも急に稲妻を伴って雨が降り出し、警護の人を欠いた宮中はてんてこ舞い。

 打毬に興じていた人々は勅令により全員職務怠慢の罪に問われて
 授刀寮(後の近衛府)に閉じ込められ禁足処分となりました。

 宮人達はそれ見たことかと大喜びで騒ぎ立て、
 「まあ何と口さがない世間であることか。それにつけてもわが身の情けなさよ」と
 ぼやいている情景であります。
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by uqrx74fd | 2009-03-08 09:49 | 生活

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