2009年 03月 08日
万葉集その七(初夏の風と香り)
「 五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降ること 」転じて
「 気候が極めて順調で豊年満作の兆し、天下泰平のこと」を表す由です。
まずは爽やかな初夏到来の歌。
「 春過ぎて 夏来(きた)るらし 白栲(しろたへ)の
衣干したり 天(あめ)の香具山 」 巻1-28 持統天皇
( あぁ 春も過ぎ、夏がやってきたらしいのぅ。
あの香具山に真っ白い衣が干してあるのを見ると- )
「白栲の衣」とは香具山で春の神事に奉仕した人々の身につける白い衣 (伊藤博)。
衣の清浄な白さと、瑞々しい新緑、そしてハタハタと衣を靡かせる風。
夏の到来を明るく爽やかに詠い、調べは朗々。堂々たる風格の名歌です。
作者は夫、天武天皇亡き後の複雑な時代を、精魂を込めて支えた気丈な女性でも
ありました。
尚、この歌は
「 春過ぎて 夏来にけらし 白栲(しろたへ)の
衣干すてふ 天(あめ)の香具山 」
と一部を変更されて、新古今和歌集、百人一首にも選定されています。
中西 進氏は
「天の香具山は聖山なのだから、はたしてそこに洗濯物など干すであろうか、
おまけに藤原宮跡から天の香具山を見ても洗濯物まで見えないはずである。
そこでこの歌は、実は雪の降る冬に詠んだのではないか、
天の香具山がうっすらと雪化粧をしている。
その雪を干した衣と見立て“冬どころか春も過ぎて夏が来たらしい、
香具山の神様は衣を干していらっしゃる”と持統天皇は歌ったのではないだろうか。
雪を衣に見立てたとなると、冬に“春も終わって夏が来た”と詠んでいるのだから
なかなかユーモアを感じさせてくれる」
とユニークな新解釈をなされています。 ( 万葉の大和路より )
「 采女(うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風(あすかかぜ)
都を遠み いたづらに吹く 」 巻1-51 志貴皇子
( 都が浄御原(きよみがはら)から藤原宮に遷(うつ)り、明日香の風景もすっかり
変わってしまった。
ここを采女達が着飾って歩いていた頃が懐かしいなぁ、
心地よく吹く風まで 今では虚しく感じられることよ。 )
遠み:遠のき いたづらに: むなしく、むやみに
采女とは、諸国の高官の姉妹および子女のうち容姿端麗のものが選ばれて
後宮に出仕し、 天皇の食膳や身の回りなどに奉仕する女性で、
他の男性との縁を持つことは固く禁じられていました。
作者の 志貴皇子(しきのみこ)は 天智天皇の第七皇子。
天武系の人々の栄える持統期では余り恵まれず、
撰善言司(せんぜんげんし)という文化面での長官にすぎませんでしたが、
残した歌6首はすべて秀歌の誉れが高く、万葉集に清新な風を送り込んでいます。
「 松浦川(まつらがは) 川の瀬 光り 鮎釣ると
立たせる妹(いも)が 裳(も)の裾(すそ)濡れぬ」 巻5-855 大伴旅人
( 松浦川がキラキラ輝いてきれいだねぇ。
それにしても鮎を釣ろうと川に立っているあなたの美しいこと、
ほらほら裾が濡れて・・・
濡らすまいと裾をからげるから素足が見えていますよ。 )
大伴旅人が佐賀県東松浦郡の玉島川で川遊びした時の歌。
女性の裳の裾が濡れ、白い素足がチラチラと見えている様子は
官能的な美感をそそったらしく、川面に輝く女性美を讃えています。
なお、この歌は旅人が頭に描いた幻想の世界、
つまり創作文学ともいわれています。
鮎の香りや味は万葉人にも大いに珍重されたようです。
さぁ我々も仕事を早く片付け、香魚の塩焼きでビールをぐい-といきましよう。
万葉集7 (初夏の風と香り) 完
by uqrx74fd | 2009-03-08 09:46 | 自然