2009年 03月 08日
万葉集その六(恋のおもしろ歌)
少し毛色の変わった恋歌をご紹介します。
「おぼこ(未通女)」、「年増」、「未亡人」、「人妻」、そして「老いらくの恋」です。
「 人の見る 上は結びて 人の見ぬ
下紐(したびも) 開(あ)けて 恋ふる日ぞ多き 」
巻12-2851 作者未詳
( 人が見る上衣の紐は結んでいるけれども、人に見えない下着の紐は
結ばずに開けておいて、あの方との逢瀬を待ち焦がれている日が続いています。)
下着の紐がほどけるのは恋人に会える前兆だという古代人の俗信がありました。
この「おぼこ」は紐が自然にほどけるのを待っているのではなく、自分からわざと
下紐を解いていとしい人が訪れるのを待ちかねているのです。
初めて知った切なげな恋。初々しいながらも何となく色っぽさが漂う一首です。
「みどり子の ためこそ乳母(おも)は 求むと言へ
乳(ち)飲めや 君が 乳母(おも) 求むらむ」
巻12-2925 作者未詳
( 本来は赤子の為に乳母を求めるものでしょう。
それなのにいい年をしたあなたがお乳を飲もうと仰るのですか?
乳母の私なんかお求めになって まぁ・・。 )
年をとった女が、かなり若い男に求愛されたのに対して答えた歌で、
「お乳を飲みたい」とは なんとストレートな恋の意思表示。
若い男をたしなめながらも、内心は嬉しいという気持ちが滲みでている女心です。
「乳飲めや」 : 乳を飲もうというのですか?の意
「乳母」 : うば 親の代わりに乳を飲ませる女 元来は母をさす幼児語
「この川に 朝菜(あさな)洗ふ児(こ) 汝(な)れも我(あ)れも
同輩児(よち)をぞ持てる いで子 給(たば)りに」
巻14-3440 作者未詳
(この川で せっせと菜洗いしている女の方、
あなたも私も同じ年の子供を持っていますね。
どうです、あなたの子供を私に下さいませんか?“結婚しませんか?”)
子持ちのやもめ男が、同じく子持ちの未亡人に向かって試みたプロポーズの歌ですが、
子供にかこつけた男の直接的な欲望、つまりセックスしませんか? と詠ったと
いう解釈もなされている一首です。
「人妻に 言ふは誰(た)が言(こと) さ衣(ごろも)の
この紐とけと 言ふは誰(た)が言(こと)」
巻12-2866 作者未詳
(この人妻に向かって一体誰の言い草ですか。着物の下紐を解けなんて。
一体どなたのお言葉なんでしょう )
作者は自分のことを人妻と自称しています。
男が人妻に言い寄り、思いがけずも大変な「おカンムリ」にあって
参ったなぁという場面の歌です。
「 あづきなく 何の狂言(たはこと) 今さらに
童言(わらはごと)する 老人(おいひと)にして」
巻11-2582 作者未詳
(ええぃ くだらない 何を口走っているのだ 今更いい年をして
子供じみたことをほざいて)
年甲斐もなく恋に狂った男が自己反省をしている弁。
今でも通用しそうな歌ですね。
あづきなく :「自分の意思では律しきれないさま」
童言 : 「子供が口にするような愚かな言葉」
「 島木赤彦は斉藤茂吉と共にアララギ派の理論的指導者で著書「歌道小見」で
“歌の道は決して面白おかしく歩むべきものではありません”と書いています。
その為赤彦や茂吉が万葉を読むときに無意識に倫理的判断あるいは倫理的、
道徳的見方を投影しています。」( 大岡 信 :私の万葉集4より)
一方正岡子規は当時(明治32年2月)の新聞「日本」に「万葉集は歌集の王なり」
「滑稽は文学的趣味の一なり」と続いて
「万葉を学ぶものは万葉集巻16 (滑稽歌が多く収録されている) を必ず読むべし」と
口を極めて賞賛しており、まさに対照的な万葉観といえましょう。
by uqrx74fd | 2009-03-08 09:45 | 心象