万葉集その二百十九(植樹)

原始の時代、我国ではカシ、クス、シイ、ツバキなどの照葉樹が豊富に茂り、
人々はこれらの木々から日常生活に必要なものを賄っていました。
即ち住居(竪穴式)や船を造るをための材、弓矢、食料としての木の実、燃料などです。

やがて社会制度が整い集落が形成されると社(やしろ)や支配者の屋敷などを造るために
大きな用材が必要になり、人々は杉、檜、栗などの木を選別して育てるようになります。

植樹の歴史は縄文時代にまで遡り、三内丸山遺跡(青森)から出土された柱のDNAから
栗の優良種を選んで植えていたことも判明しているそうです。

さらに古代人は木材の特性を正確に把握し、その用途を熟知していたことが下記の
一文からも窺われます。

「 はじめ 五十猛神 (いたけるのかみ)が 天降られるときに、
  たくさんの樹の種をもって下られた。 - - 。

 杉と樟(クス)は船、 檜は宮殿、 槙(マキ)は棺 にしなさいといって
  それを育てる沢山の種を播いた 」  (日本書紀 神代上)


植林の文献上の記録は「日本三代実録」の「866年茨城県鹿島神宮で造営用の木材を
備蓄するため杉4万本(?) 栗5700本を植えた」という記述が初見とされていますが
次の歌はそれ以前に植樹がなされていた事を示すものです。

「 いにしへの 人の植ゑけむ杉が枝に

      霞たなびく春は来(き)ぬらし 」 

                   巻10-1814 柿本人麻呂歌集


( 古の人が植えて育てたというこの杉木立の枝に霞がたなびいている。
 もう間違いなく春がきているのだなぁ。 )

杉は間伐をし、枝打ちをしなければ真っ直ぐに、また大きく育ちません。

作者は鬱蒼と茂る見事な杉木立を眺めながら古人が植樹をしたものだろうと、
その遺徳を讃えながら春の来訪を寿いだものです。

なお、伊藤博氏はこの一首は前後の歌との関連から天皇の国見の場で
詠まれたものと推定されています。

「 橘の 陰踏む道の 八衢(やちまた)に

     物をぞ思ふ 妹に逢はずして 」 

             巻2-125 三方 沙弥(さみ):伝未詳


( 四方八方に枝分かれした道には橘の木が木蔭を作っています。
 長い間あの子に逢っていないので、あれやこれやと思い悩むことです。
 私の心はまるで道が幾様にも分かれているように、
 あちらへ行ったりこちらへ行ったり。

題詞に 「作者が園臣生羽(そののおみ いくは)という人の娘と結婚して
      まだ幾日も経っていないのに病床に臥し、しばらく女のもとに
      通うことが出来なかったときの歌」 とあります。

八衢(やちまた)という語句は重要な幹線道路をさすところから、
ここでの橘は街路樹とされています。
 愛する妻のもとに通うのにふさわしい恋の通い路(武田祐吉)です。

710年、都が藤原京から平城京に移されました。
新都は東西約4,2㎞、南北約4,8㎞、藤原京の3倍半の広さをもつ
本格的な計画都市で唐の長安を範としたといわれています。

大路、小路で碁盤目に整然と区画され、メインストリートの朱雀大路は3,8㎞、
道幅は75mという巨大なもので、路の両端に柳の街路樹を植えて国家的な儀式、
パレード、海外使節一行を迎える場としての美観を整えました。

「 東(ひむがし)の 市の植木の木垂(こだ)るまで

    逢はず久しみ うべ恋ひにけり 」

              巻3-310 門部 王 (かどへのおほきみ)


( 東の市の並木の枝が成長してこんなに垂れ下がるようになるまで貴女に長らく
  お逢いしていないので、恋しくなるのも尤もなことです )

作者は奈良朝で風流侍従とよばれた人物で後に臣籍に移り大原真人と称しました。

平城京では東西の市が置かれましたがここでは杏(中西進)を植えたようです。
また各地でも椿、桑、橘、ケヤキ、杏など様々な樹木が植えられ、それぞれの市の
シンボルとされる共に人々は木蔭で暑さを避け、果実で喉の渇きを癒したそうです。

759年から朝廷は東大寺の僧普照(ふしょう)の献策により、畿内七道諸国の駅路に
果樹並木を植え始めました。

当時、防人や諸国からの税 (調、庸) を都に運搬する人々がその往還に大変な苦労を
重ねており、それらの人々の辛苦を救うためといわれています。

普照は遣唐使に従って渡唐し、20年間かの地で学び754年に帰国するときに
鑑真を日本に招いたといわれる人物です。

古代の人々は木を切ったのち鳥総立(とぶさたて)、つまり木の梢や枝葉の穂先を切り株に
立てて神に感謝の意を捧げるとともに樹木の再生を祈りました。
このような木に対する愛情と敬虔な気持が時代を超えて脈々と受け継がれ
今日の全国的な植樹祭に至っているのでしょう。

      「 吹き上げてくる瀧風や杉を植う 」 野生月 冷子
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by uqrx74fd | 2009-06-15 19:51 | 生活

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