万葉集その二百二十四(海山は死にますか)

「昔から日本人は、海も山も生きものであり、生きているからには、
   死ぬものだと思い、大事にしなければならないと考えていた。

  海や山が死んだら、草も木も、魚も鳥も、虫も、人間も
  死んでしまうものだと知っていた。
  その深い「縁」を忘れて、人間はいま、まっしぐらに死に急いで
  いるのであろうか。」
 

                      ( 山本健吉 ことばの四季 文芸春秋社 )

「 鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする
   死ぬれこそ 海は潮干(しほひ)て 山は枯れすれ 」

                  巻16-3852 作者未詳 


( あぁ、海が死ぬということなどあるの? 山も死ぬの? そんなはずがないのに。
 でもやっぱり死ぬからこそ、海は潮が干し上がるのだし、山も草木が枯れるのだなぁ)

「鯨魚取り」は海、浜、灘などに掛かる枕詞で昔は近海で鯨が多く捕れたそうです。

『 万葉も後期になると古伝承や神性にふと疑問を投げかける目がみられる。
海の潮干と山の冬枯れを示すことで海や山にさえ「死」ということは
あるのだということを示した。

本来不変と言い得る自然、当時の言い方によると永遠の生命を持つ
海神(わたつみ)山神(やまつみ)においてすら「死」から免れることはないのだと
新しい目を向けさせることに重点がある歌だということになりましょう。


この旋頭歌 (筆者注:577 577を基調とする歌体) の前に三首の
 釈教歌(仏教詠)が並んでいるのでこの歌も僧による説教の歌なのでしょう。
 外来の宗教観が古来のものの見方を揺さぶったということになります。』

                 ( 廣岡義隆 万葉のこみち はなわ新書 )


この歌を現在の私達が読むと自然破壊に対する警鐘と思えてなりません。

山を切り崩し、その土で海を埋め立て、白浜の海岸をコンクリートブロックに変える。
至るところに見られる伐採され尽くされた禿山。
草木は枯れ、獣や鳥や魚や貝すらも行き場を失い死滅する。
地盤は緩んで地崩れを起し、台風や地震のたびに起きる大災害。

万葉人は海は再び満ち、山も春来たりなば萌えると自然の再生を信じていましたが、
私たちはそれを自分達の手でしか成しえません。

人口が減少していく中でこれ以上のビルや道路が本当に必要なのでしょうか?
この狭い日本を移動するのにさらに多くの空港や鉄道が本当に必要なのでしょうか?

 「 もうこれ以上地球を壊すな!」

万葉人のメッセージに私達は真剣に耳を傾けたいものです。

「 おしえてください
   この世に生きとし生けるものの
   すべての生命に限りがあるのならば
   海は死にますか 山は死にますか
   風はどうですか 空もそうですか
   おしえてください 」
         
( さだまさし 作詞 : 防人の詩 映画「二百三高地主題歌」 
  原表現は万葉集から )

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by uqrx74fd | 2009-07-19 10:51 | 自然

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