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万葉集その二百二十七(桔梗:キキョウ)

秋の七草といえば山上憶良が詠った

「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
   をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」 


    巻8-1538 ( 万葉集その25「秋の七草」既出)

がよく知られています。

ところが最後の「朝貌」とは何か?については長年意見がわかれ、「槿(むくげ)」、
「朝顔」、「桔梗」、「昼顔」など諸説ありました。

まず、「朝顔」は平安時代に中国から渡来したものと考えられているので
省かれ、「昼顔」はさしたる根拠なしとして、最後に残ったのが
「槿」と「桔梗」。

最終的には我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)の
「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」の
記述や、歌の内容などによって「桔梗」とするのが現在ではほぼ
通説となっています。

よって、以下の歌の「朝顔」はすべて「桔梗」としてお読みください。

「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
    夕影にこそ 咲きまさりけれ 」    巻10-2104 作者未詳


( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、
  なお一層その美しさが際立つものなのですね。)

「咲きまさりけれ」は花の色が一層美しくなったの意。

この歌こそ「朝顔」が「桔梗」であるとの説を最も有力にした一首です。
何故ならば、槿、朝顔、昼顔は朝に咲いて夕方萎む1日花、
そして槿は草ではなくアオイ科の落葉低木とされているからです。

「朝顔が濃紫の気品高い花をつける桔梗であるとすれば、
信州の陽暦八月下旬の薄暮を押しのけるようにして咲くその花の風情を
幼童時代にしばしば体験している。
それは、尾花の白いそよぎとともに、童心に深い詩情を与えずには
おかなかった。
放置するに忍びず、折り取るに忍びずというのが、その花の姿であった。」

                         (伊藤 博:釈注)

「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
             色には出(い)でじ 朝顔の花 」 
                       巻10-2274 作者未詳


( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。
  でも、万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、
  朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )

「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で「激しい嘆きや
悲しみの姿態として好んで使われる言葉 (伊藤博)だそうです。

「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。

思いつめた表情で朝顔に見入っている作者。

「やや年たけた美しい女のいささか不倫の匂いも漂う妖艶な恋を思わせる」
( 永井路子 万葉恋歌 光文社 ) そうで、やはり「桔梗」は大人の花なのでしょう。

「言(こと)に出でて 言はばゆゆしみ 朝顔の
          穂には咲き出ぬ 恋もするかも 」
                 巻10-2275 作者未詳


( 恋人の名前や恋心をうっかり口に出してしまうと、不吉な結果を招くと
  いわれているので、その素振りさえも見せないようにして密かに
  あの方を恋い慕っています。
 朝顔の花のように人目に立つようなことは決していたしますまい。)

言はばゆゆしみ:禁忌に触れてはならないという恐れる心情

穂には咲き出ぬ: 「穂」は「秀」で目立つもの。ここでは花。
             目立つように外には表れないようにして。

「 桔梗はまだ秋の気配もない頃に咲きはじめる。
  花の姿も色も きりりとしていて、しかも色気がある。

  早乙女ではなくて、子供を一人くらいは産んだひとの夕涼みする
  風情に似かよう。
  紫のほかに白桔梗もあるが、この花ばかりは紫のほうがいい。

              ( 杉本秀太郎 花ごよみ:講談社学術文庫)

       「 きりきりしゃんとして咲く桔梗哉」 一茶

by uqrx74fd | 2009-08-10 20:12 | 植物

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