万葉集その二百三十二(美女と僧侶)

昔々、大和の国で修行していた僧が悟りを開いて仙人になりました。

ある日、空中を飛行していて、ふと下界を眺めると、なんとまぁ、
川の中でうら若き乙女が白い太腿(ふともも)も顕(あらわ)に
衣を洗っているではありませんか。

「どれどれと」近寄って覗き込んだとたんに、たちまち神通力が消えうせ、
真っさかさまに墜落。 ご存知、久米仙人です。

万葉集にも、どうやらこの仙人の先祖らしき人物が登場します。
この方も女性がらみ。やはり血は争えないものですね。

「 み薦(こも)刈る 信濃の真弓 我が引かば

     貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも 」 
                            巻2―96 久米禅師


(もし私が信濃産の弓の弦(つる)を引くように、あなたの手を取って引き寄せたら、
 あなたは高貴な淑女のごとく 「まぁ、いやらしい! いやねぇ。」と
 おっしゃるでしょうか? )

「み薦刈る」は信濃の枕詞。
「薦(こも)」は沼地に生える草の一種で信濃に多く繁茂していたようです。

この歌の詞書に
「法師が石川郎女という女性と結婚した時にお互いに交わした歌」とあります。

「弓引く」には「寝ませんか?」という意味が込められており、
「貴人ならぬ貴女ゆえ、まさか、いやとはおっしゃるまいでしょうね」と、
いささか強引なお誘いです。

女はこの言葉を結婚の申込みと感じ、歓喜したことでしょう。
だが、一度はもったいをつけるというのが当時の嗜み。

そこで、「弓を引く(寝る)気もないのに弦を張る(寝よう)という人は
おりませんでしょうけど、心配なことがあるのですよ」といい、

「 梓弓 引かばまにまに 寄らめども

      後の心を 知りかてぬかも 」   巻2-98 石川郎女


( 梓弓を引くように本気で手を引張ってくださったら、
お誘いのままに寄り従いましょうが、行く末のあなたの心が分りかねるのです )

嬉しいけど本気? 後々心変わりしない?と男に尋ねます。

「 梓弓 弦緒(つらを)取りはけ 引く人は
         後の心を 知る人ぞ引く 」   巻2-99 久米禅師


( 梓弓に弦を取り付けて引く人とは、これからの先々の事を十分弁えている
人のことをいうのですよ。
ご安心なさい。心変わりなどするものですか!
さぁ。これで納得でしょう。 抱いていいですね。- - 合体???)

記紀によると、久米氏は神武天皇に従って遠征し、歌舞、久米歌で軍隊の士気を
鼓舞した名門とされています。
歴代天皇の遊宴でも用いられ、現在も宮内庁楽師にその歌舞が伝えられているそうです。

石川郎女も、のちの藤原朝で複数の男性と多彩な戯歌をかわしたなまめかしい
風姿を連想させる女性(伊藤博)で、お互いにお似合いのカップルだったことでしょう。

さて、舞台は平安時代に移ります。

その昔、大和の石上(いそのかみ)神社に参詣した小野小町は
そこに僧、遍照がいる事を知り「心みむ」と戯れの歌を云い遣りました。

「 岩(いは)の上に 旅寝をすれば いと寒し

        苔の衣を 我にかさなむ 」    小野小町  後撰集


( 石上(いそのかみ)ならぬ岩の上に旅寝をすれば肌寒くてなりません。
 あなたの苔の衣を貸して下さいな )

石上:奈良県天理市の石上神社 「岩のうえに」と「石上」に掛けた洒落
苔の衣:僧衣 苔は石(いわ)に生えるものとした洒落

それに対して打てば響くような遍照の返事です。

「 世をそむく 苔の衣はただ一重

     かさねばうとし いざふたり寝む 」 遍照 後撰集


( 残念ながら、法衣はたった一重しかないので、お貸しすると
  私めの寒さを凌ぐことが出来ません。
 かといって貸さないと冷淡だといわれましょう。
 ならば、二人で肌を寄せて寝ましょうよ )

「かさねばうとし」: 「貸さねば疎し」

『 小町の「心みむ」とは遍照の道心を試したというのではなく、
出家後も風流心を失っていないかと戯れに共寝を誘って試したということで
小町にとっても得心のゆく遍照の返しだったに違いない。

これをもって二人の間に何かあったと思うのは間違いで六歌仙の一員として
互いに気の置けぬ友達であったのだろう 』 
               (白州正子 夢に生きる女 小野小町 )


歌仙同士の手練の贈答。大和物語などに説話化されているお話です。

「 遍照は 乙女になんの 用がある 」  (川柳 柳多留)

 この川柳は下記の「百人一首」を冷やかしたもの。

「 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉(と)ぢよ
          をとめの姿 しばしとどめむ 」  僧正 遍照

ご参考:

小野小町:   生没年未詳 仁明朝(833~850)~文徳朝(850~858)
          のころ後宮に仕えていたといわれ、仁明天皇の更衣であったとも。

遍照:(816~890)
         桓武天皇の孫  良岺(よしみね)宗貞  号 花山僧正 
         寵遇をうけた仁明天皇崩御と同時に35歳で出家
         素性法師は在俗時にもうけた息子。
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by uqrx74fd | 2009-09-12 07:35 | 生活

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