万葉集その二百三十四(芋:うも)

 「 雨止みて 里芋の葉に溜まる露
    碧き大空 映して光る 」      糟谷 ふくゑ


稲作栽培以前、古代の人々が主食としていた里芋の原産地はインドやインドシナ半島
などの熱帯アジア地方といわれ、我国に伝わったのは縄文時代と推定されています。

自然薯(じねんじょ)などのように山で採れるのではなく、家の菜園で栽培されたので
「山芋」に対して「里芋」と呼ばれ、「じゃがいも」や「サツマイモ」が伝わる
江戸時代まで「芋」と言えば里芋をさしていました。

このような大切な食物にも拘らず、万葉集に詠われているのは次の一首のみです。

「 蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が

       家にあるものは 芋(うも)の葉にあらし 」

           巻16-3826 長忌寸(ながのいみき)意吉麻呂 


( これが本物の蓮の葉なのですなぁ。なんと豪華なことよ! それに比べて
  わが家にあるのは似ているようでもやっぱり里芋の葉ですわい。)

作者は愉快な歌、戯れ歌を即興的に詠むのを得意としていました。

宴席で大皿の代わりに蓮の大きな葉に盛られた豪華なご馳走を褒める気持も込めて
大げさに驚いてみせ、我家の小さな芋の葉を卑下してみせたものですが、
蓮と里芋の葉の形が似ているところにこの歌の面白みがあります。

古代、蓮の花は高貴な美女の象徴とされていました。
宴席には主人の妻妃などが接待に出ていたかもしれません。

もしそうだとすれば「イモ」は「妹」を連想させ「素晴らしい女性ばかりですね。
それに比べて我が家の妹(イモ)は野暮ったくて何とも見栄えがしないことです」と
落胆したふりをして満場をどっと沸かせたのでしょう。

奈良時代の貴族達の華やかな歓楽の一幕です。

里芋の葉は蝋質を分泌するため水滴ができ、その風情はよく詠まれています。

「 芋の葉に こぼるる玉の こぼれこぼれ
       小芋は白く 凝( こ) りつつあらむ 」 長塚 節


『 新秋の里芋畑に芋の葉に置いた露がころころとこぼれる。
地中ではその玉がしみ透って小芋が白い玉に育ちつつあるだろう。
早朝の爽やかな空気に季節の推移を敏感に感じ取っている。
小芋の成長を思う気持だから「こぼれ こぼれ」という幼い措辞がふさわしい。』

                ( 山本健吉 句歌歳時記 秋 新潮社 )

里芋は、親芋に子芋、さらに孫芋とたくさんの芋がつくことから子孫繁栄の象徴とされ、
お正月や様々な行事の食材として欠かせない存在です。

今年の仲秋の名月は10月3日。
別名「芋名月」とよばれるように、月に芋を供えたり、食したりして稔りの秋の収穫に
感謝いたします。
恒例の「芋煮会」も各地で賑やかに行われていることでしょう。

芋といえば蛇笏一代の名句を忘れるわけにはいきません。

「 芋の露 連山影を 正しうす 」    飯田蛇笏

里芋の葉に露が宿り、その一粒一粒に山々が影を宿している。
芋の葉や露は小さくても、景観は雄大。

たった十七字で、これだけの世界を表現できる作者の力量と
日本語の素晴らしさに驚嘆させられる一句です。
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by uqrx74fd | 2009-09-27 07:57 | 植物

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