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万葉集その二百四十(杉のいろいろ)

杉は今から数百万年前に日本列島に生まれ、氷河時代を生き抜いた我国固有の植物です。
自然林としては1993年、世界遺産に登録された屋久杉をはじめ、秋田杉、四国の魚梁瀬
(やなせ)杉などがよく知られていますが、古くから建築用材として各地で植栽されたため、
北は東北から南は九州まで広く分布しています。

古代の人々は樹齢が長く鬱蒼と茂る杉の巨木に神の息吹を感じ、
神の憑依(ひょうい)する木として崇め、その周りを神域として保護してきました。 
                               (註・憑依: 寄り付く)

中でも奈良県桜井市の三輪山は「御むろの神なび山」といわれるように山そのものが
ご神体とされ、古くから特別な存在とされております。 (註・御むろ:神が住む)

「 味酒(うまさけ)を 三輪の祝(はふり)が 斎(いは)ふ杉

         手触れし罪か 君に逢ひかたき 」

            巻4-712   丹波大女娘子 (たにはのおほめ をとめ)


( 三輪のお社には神官さまが崇め祭る立派な杉がございます。
その神木に手を触れた祟りなのでしょうか。
私があなたさまにお会いできないのは)

「 でも私には触れたという記憶が無いのですか、どうしたことでしょう」という
  気持が感じられる一首です。

ここでの三輪は、山麓の大神(おほみわ)神社で、祝(はふり)とは神官のことです。
「味酒(うまさけ)」は「味酒(ミワ)」とも訓み、神酒として神に供えることから、
同音の三輪山に掛かる枕詞とされています。

『 こんにち見る「うまさけを三輪の祝(はふり)がいつきまつる老杉」は拝殿の前に
亭々と茂っていて、空洞の中には神蛇「巳(みい)さん」がいますという。

わたくしはまだ巳さんを見たことはないが、信仰は大変さかんである。
大物主神をまつるといえば、ものものしく、山の霊力の象徴のような巳さんを
まつるといえば、記紀にみえる有名な三輪山神婚説も思われて、
古来の民間信仰の根深い実態を見るようである。』 (犬養孝 万葉の旅(上) 平凡社)

「三輪山神婚説」とは

「三輪山の神が絶世の美女、イクタマヨリ姫に惚れて通い、ついに口説き落として
神の子をもうけた。ところが姫は夫がどこの誰とも身分を明かされていなかったので
不審に思い、ある夜、ひそかに男の衣の裾に麻糸を縫い付けておき、男が去った後
その糸をたどると、三輪山の社で止まっていた。そこで、姫は初めて相手は人間ではなく、
神の化身(蛇)であることを知った」というものです。

「 新醸の神酒を捧げて杉の舞 」  白芽

三輪山の主神「大物主(オオモノヌシ)」は酒の神でもあられます。
毎年新酒が出回る季節がくると、大神神社境内の杉の葉で「杉玉」を作ります。

「杉玉」とは竹で丸い籠を編み、その隙間に杉の葉をぎっしり差し込んで丸く刈り込んだもので、
出来上がった玉は緑も鮮やかな大形のマリモのようです。

11月14日は新酒仕込みにあたって安全祈願を祈る大祭、「酒祭り」です。
神社拝殿向背の天井から吊リ下げられている特大の杉玉 (直径1.4m、重さ150kg)は
前日に作ったばかりの新しいものに取替えられ、瑞々しい色と香りを漂わせています。

神前には、お神酒が供えられ、四人の乙女が杉の小枝を手に雅やかな「杉の舞」を奉納
いたします。

祭りの後、神社から小さな杉玉が全国の主要な酒屋に送られ、酒屋はそれを軒先に飾って
お守りとし、また、木の香豊かな杉樽の新酒が出来た事を人々に知らせるのです。

「 杉の穂の高きを見れば月澄める  
       空をわたりてゆく風のあり 」   土田耕平


杉には天竜杉、秋田杉、吉野杉、魚簗瀬(やなせ)杉、山武杉などの地域品種がありますが、
特に京都の「北山杉」は「冬の花」として知られています。

「冬の花」とは川端康成の短編小説「古都」にみえる
「千恵子には、木末に少しまるく残した葉が、青い地味な冬の花と見えた」

に由来し、東山魁夷画伯も同名の幻想的な美しい絵を描いておられます。

『 北山杉は清滝川の谷間に点在する中川、小野、梅畑の村で、岸辺からあまり
高くもない山の頂まで、杉の木が立ち並んでいる。
枝打ちして、梢に近い部分だけを丸く残して、あとの不要な枝は払い落としてあり、
皮をむいた真っ直ぐの幹の白い膚(はだ)が、頂の緑と共に鮮やかである。』

                     ( 山本健吉 古都解説より:新潮文庫)

北山杉は「台杉」といわれる造林法で育てられます。
一本の株に数本の幹を立てるというやり方で、幹を伐ってもその台から新しい芽が
伸びてくるので、伐るたびに苗を植える手間が省ける上、成長が早く、日本建築の
床柱など特別なところに使われます。

その歴史は古く784年ころにはじまり、茶の湯の流行と共に茶室建築の装飾材として
重んじられるようになったそうです。

    「 鰯雲 北山杉の秀(ほ)が揃ふ 」 ( 田淵定人)

by uqrx74fd | 2009-11-09 07:06 | 植物

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