万葉集その二百四十四「香椎潟(かしひがた)」

『 鹿児島本線で門司方面から行くと、博多に着く三つ手前に香椎という小さな駅がある。
この駅をおりて山の方へ行くと、もとの官幣大社 香椎宮(かしいのみや)、海の方に行くと
博多湾を見わたす海岸に出る。

前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島(しかのしま)の山が
海に浮かび、その左の方には残の島(のこのしま)がかすむ眺望のきれいなところである。
この海岸を香椎潟といった。昔の「橿日(かしい)の浦」である。

大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人はここに遊んで

「 いざ子ども 香椎(かしひ)の潟(かた)に 白袴(しろたへ)の
   袖さへ濡(ぬ)れて 朝菜摘みてむ    万葉集巻6-957 」 
と詠んだ 』
           
( 松本清張 「点と線」 新潮文庫より)

728年11月(旧暦)、大宰府長官大伴旅人は官人たちと香椎廟に参拝しました。

香椎廟とは博多湾に臨む今の香椎宮のことで、皇室の祖先、仲哀天皇と神功皇后を
合祀しているところから官幣大社とよばれ、古くは神祇官、明治以降は宮内省が幣帛
(へいはく:神に奉献する物の総称)を捧げたのでその名があります。(第2次大戦後廃止)

香椎宮の本殿は、内陣、中陣、外陣に分かれ、入母屋、切妻造りの屋根に様々な装飾
(破風)を配した華麗かつ変化に富む独特の様式をもち、「香椎造」と称されています。
樫や楠の巨木に囲まれた境内は森厳な雰囲気を漂わせており、遠(とう)の朝廷(みかど)
大宰府でも尊崇厚く、官人がしばしば訪れていたようです。

さて、長い参拝が終わった旅人一行は清々しい気分で背後を振り返ります。

そこには湖を思わせるような朝凪の香椎潟が眼前に大きく開け、白い作業衣をまとった
海女たちが、忙しげに海藻を摘んでいます。

紺碧の空に映えるマリンブルーの海。点在する白い海女の姿。遥か彼方には博多湾。
人々はその美しい光景に歓声を上げたことでしょう。 
大伴旅人は
「 おおーい!皆のものたちよ。 我々も海女に混じって、この香椎の海で
 袖が濡れるのも忘れて朝餉の海藻を摘もうではないか 」と声をかけます。

部下の一人、小野 老(おゆ)が早速応じます。

「 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟(かしひがた)
      潮干(しほひ)の浦に 玉藻刈りてな 」 巻6-958 小野 老(おゆ)


( 海からの風が吹き出しそうな気配になってきました。
  潮がひいているこの入江。今のうちに海藻を刈ってしまいたいものです )

「時つ風」は潮が満潮、干潮に変わるときに、一時的に時を定めて吹く風です。
香椎潟は博多湾の奥深いところにありますが、玄界灘の影響を受け、気象状況が
変化しやすく、老(おゆ)はそのことをよく知っていたのでしょう。

それにしても、お偉方が海藻摘みに興じる? 
「玉藻」には「地元の美しい女」という意味が隠されているかもしれません。

この風光明媚な景色はその後も長く残されていたらしく、昭和の初め頃、鉄道路線の
一部は波打ち際近くにあり、海岸に沿って列車が颯爽と走っていたと伝えられています。

その美しい海岸線も今や埋め立てられて種々の家屋や団地が立ち並び、昔日の面影も
ないくらいに変貌してしまいました。

香椎宮参道入口の右側に頓宮(とんぐう)とよばれる台地があり、そこに
万葉歌碑が建てられています。

そのかたわらに立ち、遥か博多湾を見晴らしながら目を閉じて古を想うと、
清らかな浜辺に打ち寄せる白波や海女たちの姿が髣髴としてよみがえり、万葉人の
さんざめきまで聞こえてきそうです。

目をひらくと海上には帆掛船。
そして、一陣の浜風が頭上を吹き抜けてゆきました。

「 時雨霽(は)れ 香椎の宮で 見る帆かな 」     飯田蛇笏
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by uqrx74fd | 2009-12-06 09:36 | 万葉の旅

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