万葉集その二百五十(橘 曙覧:たちばなのあけみ)

「 たのしみは 朝おきいでて 昨日まで
   なかりし花の 咲ける見るとき 」  橘 曙覧


平成6年、天皇皇后両陛下が訪米された折、クリントン大統領はこの歌を歓迎式辞の
中で引用し、両国の新たなる親善によって「昨日までなかりし花」を築いてゆこうと
いう趣旨の挨拶をされました。
スピーチが終わるや否や「橘 曙覧? who ?」 の声が漏れ聞こえ、マスコミは大騒ぎ。
当時は日本人でさえ、その名を知る人は少なかったことでしょう。

橘 曙覧は幕末の1812年、現在の福井県の裕福な紙商人、正玄(しょうげん)家に生まれ
幼名を五三郎、のちに尚事(なおこと)と称しました。
父、五郎右衛門は奈良時代の左大臣橘諸兄の末裔で、その縁(ゆかり)により
正玄尚事(しょうげん なおこと)はのちに橘 曙覧と姓名を改めます。
曙覧(あけみ)とは橘の実が赤いという意味だそうです。

曙覧は父が早世したため、やむなく伯父と共に家業を継ぎましたが、商売に馴染めず、
28歳で異母弟に店を譲ります。
福井藩主、松平春嶽は早くから彼の才能を認め再三仕官を勧めましたが固辞し、
学問と歌の世界で生きることを選んで生涯清貧の生活を送りました。

「たのしみは 百日ひねれど 成らぬ歌の
     ふとおもしろく 出できぬるとき 」  橘 曙覧 

「 たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ
       頭ならべて 物をくふとき 」   同上


曙覧はこの歌のような生活を通じて、今まで伝統的和歌の世界では決して詠まれて
こなかった貧しさや、家族との団欒などを温かく詠い続け、さらに万葉集を深く学んで、
後世、万葉調歌人と言われるようになります。

橘 曙覧を世に知らしめたのは正岡子規です。
子規は雑誌「日本」や「歌よみに与ふる書」で
『 歌といえば、誰しも花や月などの風雅を詠うのに曙覧は自分の心を率直に歌い、
古今、新古今和歌集以来の昔から決まりきった旧弊のしきたりを一挙に打ち破って
新しい歌の世界を作り上げた源実朝以降のただ一人の歌人である。

その見識は高く、凡俗を超越し、万葉を学びながら万葉を脱し、歌人として彼を
賞賛するのに千万語をついやしても誉めすぎにはなるまい。
趣味を自然に求め、手段を写実に取った歌は前に万葉、後に橘 曙覧あるのみ』と
口を極めて称賛しています。

曙覧には万葉集を下敷きにした歌が多くあります。

「 寝よといふ 鐘はつくとも 一すずみ
    この小夜風に せではあられじ 」   橘曙覧


( 寝よという合図の鐘を寺でついていても、
  この爽やかな夜風では、ひと涼みをしないではいられないよ)

この歌は次の万葉歌を本歌取りしたものです。

「 皆人(みなひと)を 寝よとの鐘は 打つなれど
    君をし思へば 寝(い)ねかてぬかも」  笠郎女 万葉集 巻4-607(既出)


( もう亥の刻(午後十時)。皆さんお休みの時間ですよと、お寺では鐘を打っていますが、
 あなた様のことを想うと、眠ろうとしても益々目が冴えて眠れそうにもありませんわ)

註:「本歌取り」 先人の歌の語句を自身の歌に取り入れ、背後にある古歌(本歌)と
イメージを二重写しにして余情の効果を高める手法

「 春風に ころも吹かせて 玉しまや
      この川上に ひとり鮎つる )  橘 曙覧


本歌
「 松浦(まつら)なる 玉島川に 鮎釣ると
   立たせる子らが 家道(いえぢ)知らずも 」
                大伴旅人 万葉集 巻5-856 

( ここ松浦の玉島川で鮎を釣ろうと立っておられるお嬢さんの家へ行く道を知りたい!
  でも、教えていただけないのは残念なことです。)


曙覧の歌は福井県武生市付近を流れる吉野瀬川に出かけたときのものです。
吉野瀬川で魚を釣っている人を見て、かって大伴旅人が筑紫の玉島川で鮎釣る乙女の
輝くばかりの美しさを詠んだ歌にイメージを重ねたものと思われます。
万葉の頃、鮎の初釣りは女性に限られており、「春風に衣吹かせて」いた人も
また美しい女性であったことでしょう。 

「 赤裸(まはだか)の 男子(おのこ)むれゐて 鉱(あらがね)の
           まろがり砕く 鎚(つち)打ちふりて」   橘 曙覧


真っ裸の鉱夫たちが群がって鉱石の塊を鎚でうち砕いている情景で、
振り上げた鎚を握る筋肉が隆々と盛り上がっている様子さえ目の前に
見るような力強い表現です。

この歌は八首の連作からなり、鉱山から岩石を採って粉砕し、水中で選別したものを
火で溶かして銀を取り出し馬で運搬するまでの一連の作業を描写しています。

これまで労働を写生した歌は皆無でした。
この歌群は労働の苦しさではなく働く姿の美しさが見事に表現されている上、
平明な言葉で詠われており、近代和歌に極めて近いものと高い評価がなされております。

名を求めず、利欲にも走らず、ただひたすら歌を愛し、心のおもむくままに詠った曙覧。
貧しくともその中に楽しみを見出し、決して「苦しみは」とは詠わなかった清廉の歌人はまた、
真の友人を生涯大切した人でもありました。

「 たのしみは とぼしきままに 人集め
       酒飲め 物を食へといふとき 」 橘 曙覧

「たのしみは 心をおかぬ友どちと
         笑ひかたりて 腹をよるとき 」 橘 曙覧

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by uqrx74fd | 2010-01-17 19:50 | 生活

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